旅ログ

深夜特急に影響され海外へ出た話

2026年4月24日

大学時代の自分を一言で表すなら、たぶん「何もない人間」だったと思う。

こう書くと少し暗い。

でも、当時の自分の感覚としては、わりと本当にそんな感じだった。

運動が得意なわけではない。

人前で目立つタイプでもない。

サークルでワイワイするような感じでもない。

特別に打ち込んでいる趣味があるわけでもない。

どちらかといえば内向的で、家でパソコンを触っている時間のほうが落ち着くタイプだった。

もちろん、まったく何もしていなかったわけではない。

塾講師のアルバイトはしていた。

大学にも通っていた。

友人もいた。

インターネットやチャット、ネットゲームにもハマっていた。

だから外から見れば、普通の大学生だったと思う。

でも、自分の中ではどこか満たされないものがあった。

「自分には何があるんだろう」

そんなことを、ぼんやり考える時間があった。

特に困ったのが長期休暇だった。

大学の長期休暇は、とにかく時間がある。

時間だけはある。

でも、やることがない。

これが意外とつらい。

バイトを増やせば時間は埋まる。

でも、それだけでは何か違う気がした。

ただ時間を消費しているだけのような感覚。

そんなモヤモヤした時期に、たまたま出会ったのが『深夜特急』だった。

何もなかった大学時代の自分

大学時代の自分は、何かに全力で打ち込んでいるタイプではなかった。

スポーツで結果を出しているわけでもない。

音楽をやっているわけでもない。

何かの大会を目指しているわけでもない。

人脈が広いわけでもない。

みんなの中心にいるようなタイプでもない。

今思えば、それが悪いことだったとは思わない。

人にはそれぞれの過ごし方がある。

静かな大学生活も、それはそれで一つの形だと思う。

ただ、当時の自分はそれを前向きには捉えられていなかった。

周りの人が楽しそうに見える。

何かに夢中になっている人がうらやましく見える。

自分だけが、何となく毎日を過ごしているように感じる。

そういう時期だった。

もちろん、パソコンやインターネットにはかなり触れていた。

ネットゲームにもハマった。

YahooゲームのHeartsもやった。

ICQやIRCでチャットもしていた。

メル友文化にも触れた。

それなりに楽しいことはあった。

でも、どこか画面の中に閉じている感覚もあった。

現実の自分は、あまり動いていない。

部屋の中でパソコンに向かいながら、外の世界を見ているような感じ。

そんな自分に、少し物足りなさを感じていたのだと思う。

長期休暇は時間だけがあった

大学生の長期休暇は、自由である。

自由なのだけれど、自由すぎる。

予定がある人にとっては最高だと思う。

旅行に行く。

サークル活動をする。

バイトをする。

友人と遊ぶ。

資格の勉強をする。

何かに打ち込む。

そういう人にとっては、長期休暇はかなり価値のある時間だと思う。

でも、当時の自分は違った。

時間はある。

でも、何をすればいいのか分からない。

これが一番きつかった。

朝起きる。

特に予定がない。

パソコンを触る。

ネットを見る。

ゲームをする。

気づいたら一日が終わる。

そんな日もあった。

もちろん、それが全部無駄だったとは思わない。

ネットで得た経験も、今につながっている部分はある。

でも当時は、

「このままでいいのかな」

という感覚があった。

何かしたい。

でも何をすればいいのか分からない。

どこかへ行きたい。

でも行く理由がない。

変わりたい。

でも動き方が分からない。

そんな中途半端な状態だった。

今思うと、このモヤモヤがあったからこそ、『深夜特急』に強く反応したのだと思う。

偶然出会った『深夜特急』

そんなある日、何気なくテレビをつけた。

たしか午後の時間帯だったと思う。

特に見たい番組があったわけではない。

なんとなくテレビをつけて、なんとなく画面を見ていた。

そこで流れていたのが『深夜特急』だった。

主演は大沢たかおさん。

最初は、本当に何となく見ていただけだった。

でも、気づいたら画面に引き込まれていた。

海外の街。

知らない人たち。

バス。

安宿。

旅先の空気。

日本の日常とはまったく違う世界。

それがテレビの中に広がっていた。

確か3部構成で放送されていて、気がつけば全部見ていたと思う。

当時の自分にとって、それくらい印象が強かった。

旅番組とも少し違う。

観光案内でもない。

きれいなホテルに泊まって、美味しい料理を食べて、有名観光地を巡るような旅行でもない。

もっと雑で、もっと不確かで、もっと人間くさい旅だった。

その感じが、自分には刺さった。

バックパッカーという言葉を知った

『深夜特急』で初めて強く意識した言葉がある。

バックパッカー。

荷物ひとつで海外を旅する人たち。

決められたツアーではない。

添乗員がいるわけでもない。

きれいに整えられた旅行プランでもない。

自分で考えて、自分で動く旅。

当時の自分には、これが衝撃だった。

それまで旅行といえば、家族旅行や、ある程度決められたプランで動くものという感覚が強かった。

ホテルが決まっている。

移動手段が決まっている。

行く場所も決まっている。

安全で、分かりやすくて、予定通りに進む。

それが旅行だと思っていた。

でも『深夜特急』の旅は違った。

どこへ行くか。

どう移動するか。

どこに泊まるか。

誰と出会うか。

すべてがその場で動いていく。

完全に自分の意思で進んでいく世界だった。

「そんな自由な生き方があるのか」

そう思った。

自由という言葉は、少しきれいに聞こえる。

でも、その自由には不安もある。

失敗もある。

怖さもある。

それでも、自分で動いている。

それが、何もしていなかった当時の自分には、とても眩しく見えた。

自分の意思で動く旅への憧れ

『深夜特急』を見ていて一番惹かれたのは、旅の自由さだった。

誰かに連れていかれるのではない。

自分で決めて、自分で進む。

これが大きかった。

当時の自分は、どこか受け身だったと思う。

大学に行く。

授業を受ける。

バイトに行く。

家に帰る。

パソコンを触る。

そんな日常の中で、自分から何か大きく動くことはあまりなかった。

でも、『深夜特急』の中の旅人は違った。

何が起こるか分からない場所へ、自分の足で進んでいく。

道に迷うかもしれない。

言葉が通じないかもしれない。

変な人に会うかもしれない。

お金に困るかもしれない。

でも、それでも進んでいく。

その姿が、自分にはとても新鮮だった。

自分も、何かを自分の意思でやってみたい。

そう思った。

何か特別な才能がなくてもいい。

立派な目標がなくてもいい。

ただ、自分で決めて動く経験をしてみたい。

それが海外一人旅への最初の気持ちだったと思う。

友人との賭けから始まる旅に惹かれた

『深夜特急』のストーリーの中で、特に印象に残っているのが旅のきっかけだった。

香港から始まり、インドのデリーから乗り合いバスでロンドンを目指す。

そのきっかけが、友人との賭け。

ロンドンの中央郵便局から「ワレ到着セリ」と電報を打つ。

その約束だけで旅に出る。

この設定が、自分にはかなり魅力的だった。

大きな使命があるわけではない。

誰かに命令されたわけでもない。

仕事でもない。

ただ、友人との賭け。

そして、その友人は餞別として旅の資金を渡してくれる。

ここも良かった。

成功するかどうかは分からない。

本当にロンドンまで行けるのかも分からない。

でも、

「行ってこい」

という気持ちで送り出す。

この関係性が、すごくいいなと思った。

単なる無謀な挑戦ではなく、少し温かい。

応援されている旅。

そんな感じがあった。

自分には、そこまでドラマチックな友人との賭けがあったわけではない。

でも、「何かに背中を押されて旅に出る」という感覚には、とても憧れた。

「ワレ到着セズ」という終わり方

旅の終わり方も印象的だった。

細かい記憶は少し曖昧な部分もあるけれど、最終的にロンドンには到着する。

でも、電報で打った言葉は「ワレ到着セズ」。

この終わり方が妙にリアルだった。

普通なら、成功しました。

約束を果たしました。

ワレ到着セリ。

そう終わりそうなものだ。

でも、そうではない。

到着したのに、到着せず。

成功とも失敗とも言い切れない。

この余白が、自分には刺さった。

旅というのは、目的地に着いたかどうかだけではないのだと思った。

到着した。

でも、何かが違う。

旅に出る前の自分とは、もう同じではない。

だから、単純に「到着した」とは言えない。

そんな感じがした。

もちろん、当時の自分がそこまで言語化できていたわけではない。

ただ、妙に心に残った。

完璧な成功物語ではない。

でも、確実に何かを経験している。

その感じが、自分にはとてもリアルに見えた。

なぜここまで影響を受けたのか

今振り返ると、なぜ『深夜特急』にここまで影響を受けたのか、理由はわりとシンプルだと思う。

自分が何もしていなかったからだ。

何も挑戦していない。

何も変わらない日常。

長期休暇を持て余し、パソコンの前で時間を過ごしている。

そんな自分の前に、自分の意思で海外を旅する人間が現れた。

そりゃ影響を受ける。

むしろ、受けない方がおかしい。

当時の自分に必要だったのは、情報ではなく刺激だったのかもしれない。

海外旅行のガイドブックを読んでも、そこまで動かなかったと思う。

旅行会社のパンフレットを見ても、たぶん動かなかった。

でも『深夜特急』は違った。

旅に出ることが、ただの観光ではなく、自分を動かす行為として見えた。

それが大きかった。

自分にも何かできるかもしれない。

何もないと思っている自分でも、どこかへ行くことはできるかもしれない。

そう思えた。

海外に行きたいと思った瞬間

気づいたら、思っていた。

自分も海外に行ってみたい。

それも、ただの観光ではない。

自分で考えて動く旅をしてみたい。

この気持ちは、当時の自分にとってかなり大きな変化だった。

それまで海外は、どこか遠い世界だった。

英語も得意ではない。

海外経験もない。

飛行機に乗ることにも慣れていない。

トラブルの想像ばかり浮かぶ。

迷子になったらどうするのか。

言葉が通じなかったらどうするのか。

ホテルは取れるのか。

お金は足りるのか。

危なくないのか。

考えれば考えるほど不安になる。

でも、それでも行ってみたいと思った。

怖さよりも、興味が勝った。

不安よりも、動きたい気持ちが勝った。

これは自分にとってかなり珍しいことだった。

普段なら、安全な方を選ぶ。

失敗しない方を選ぶ。

面倒なことは避ける。

でもこのときは違った。

「やってみたい」

その気持ちが、ちゃんと前に出てきた。

初めての海外へ踏み出す

そこから実際に動き始めた。

一人で海外へ行く決断。

今思えば、よくやったなと思う。

今なら、事前にスマホで全部調べられる。

地図もある。

翻訳アプリもある。

ホテル予約サイトもある。

口コミもある。

現地情報も簡単に手に入る。

でも当時は、今ほど便利ではなかった。

海外に一人で行くというだけで、かなり大きなことだった。

英語は不安。

海外経験はゼロ。

トラブルの想像ばかり浮かぶ。

それでも、行きたいと思ったから行った。

本当にそれだけだった。

立派な理由はない。

人生を変えたい、と大げさに考えていたわけでもない。

自分探し、という言葉も少し照れくさい。

でも、何かを変えたい気持ちはあった。

動かないままでは、何も変わらない。

それだけは、当時の自分にも分かっていた。

だから、一歩踏み出した。

今振り返ると、その一歩はかなり大きかった。

タイと韓国という最初の選択

実際に海外へ行くようになってから、最初に中心になったのはタイと韓国だった。

理由はシンプル。

行きやすかったから。

韓国は近い。

飛行時間も短い。

文化もどこか近いところがある。

でも、ちゃんと海外である。

言葉も違う。

街の雰囲気も違う。

食べ物も違う。

近いけれど、日本ではない。

初めて海外を感じるには、とても現実的な場所だった。

一方でタイは、空気がまったく違った。

人が優しい印象があった。

街にゆるさがあった。

物価も安く、居心地がよかった。

日本とは違う時間が流れているように感じた。

タイと韓国。

この二つの国は、自分にとって海外への入口だった。

最初から遠い国や難しい場所を選んでいたら、途中で怖くなっていたかもしれない。

でも、タイと韓国だったから踏み出せた。

今思うと、最初の選択としてちょうどよかったのだと思う。

海外イコール怖いが崩れていく

実際に行ってみると、「海外=遠い・怖い」という感覚が少しずつ崩れていった。

もちろん不安はあった。

言葉が通じない場面もあった。

迷うこともあった。

分からないことだらけだった。

でも、行ってみると人は普通に暮らしている。

当たり前だけれど、これが大きかった。

街がある。

店がある。

電車やバスがある。

ご飯を食べる場所がある。

親切な人もいる。

困ることもあるけれど、何とかなることも多い。

海外は、テレビや本の中だけの遠い場所ではなかった。

自分が実際に歩ける場所だった。

これを知れたのは大きい。

知らない場所に行く怖さはある。

でも、一度行ってみると、次の一歩が少し軽くなる。

韓国に行く。

タイに行く。

現地で人に会う。

食べ物を食べる。

街を歩く。

その経験が積み重なると、自分の中の世界の距離が少し縮んでいった。

行動したことで変わったもの

この経験で一番大きかったのは、海外に行ったことそのものではないと思う。

一番大きかったのは、自分で動いたという事実だった。

結果がどうだったか。

旅が成功だったか。

失敗だったか。

そんなことよりも、

「やってみた」

これが大きかった。

何もなかった自分が、自分で決めて動いた。

パスポートを用意し、航空券を取り、海外へ行った。

不安を抱えながらも、現地へ向かった。

この事実は、自分の中に残った。

旅先では、もちろん失敗もあった。

迷ったり、戸惑ったり、うまく伝えられなかったり。

スマートな旅ではなかった。

でも、それでよかった。

完璧にできたかどうかではなく、動いたことに意味があった。

行動すれば、何かが起きる。

動かなければ、何も起きない。

当たり前のことだけれど、当時の自分にはかなり大きな発見だった。

何もない自分が少し変わった

海外へ行ったからといって、急に別人になったわけではない。

性格が明るくなったわけでもない。

急に社交的になったわけでもない。

何か大きな成功を手にしたわけでもない。

でも、少しだけ変わったと思う。

少なくとも、

「自分にも行動できることがある」

とは思えるようになった。

何もない人間だと思っていた自分が、一人で海外へ行った。

これは小さくない。

誰かにとっては普通のことかもしれない。

海外一人旅なんて珍しくないと思う人もいるだろう。

でも当時の自分にとっては、大きな一歩だった。

他人と比べる必要はない。

自分にとって大きかったかどうか。

それが大事なのだと思う。

自分の中で、何かが少しだけ動いた。

それだけでも十分だった。

きっかけは本当に小さかった

振り返ると、すべての始まりは本当に小さかった。

たまたまテレビをつけた。

なんとなく番組を見た。

それだけだった。

もしその日、テレビをつけていなかったら。

もし『深夜特急』を見ていなかったら。

もし途中でチャンネルを変えていたら。

たぶん、その後の自分の行動も違っていたかもしれない。

もちろん、いつか別のきっかけで海外に興味を持った可能性もある。

でも、自分にとって大きなきっかけが『深夜特急』だったことは間違いない。

きっかけというのは、いつも大げさな形で来るわけではない。

映画。

本。

テレビ番組。

誰かの一言。

偶然見た景色。

ちょっとした会話。

そういう小さなものが、後から考えると大きな分岐点になっていることがある。

大事なのは、そこから動いたかどうか。

自分は、あのとき少しだけ動いた。

それがよかった。

あのとき動かなかったら

もしあのとき、

「面白かったな」

で終わっていたらどうなっていただろう。

たぶん、何も変わらなかったと思う。

テレビを見て感動する。

少し海外に憧れる。

でも結局、いつもの日常に戻る。

そういうことは、いくらでもある。

感動しただけで終わる。

やりたいと思っただけで終わる。

調べただけで終わる。

自分にも、そういうことはたくさんある。

だからこそ、あのとき実際に動いたことは大きかった。

完璧な準備ができていたわけではない。

自信があったわけでもない。

英語が得意だったわけでもない。

でも行った。

それだけだった。

行動って、本当に大事だと思う。

言葉にすると当たり前すぎて、少し安っぽく聞こえる。

でも、実際にはかなり難しい。

やりたいと思っても、多くのことはやらないまま終わる。

だからこそ、たまにでも動けた自分は、少し褒めてもいいのかもしれない。

今の自由人への道につながっている気がする

この海外一人旅の経験は、今の「自由人への道」にも少しつながっている気がしている。

もちろん、当時はブログで副業をするなんて考えていなかった。

WordPressも使っていなかった。

SEOも収益化も、まったく別世界だった。

でも、根っこにあるものは少し似ている。

何もない自分が、少し動いてみる。

うまくいくか分からないけれど、とりあえずやってみる。

失敗も含めて記録する。

完璧ではないけれど、自分の足で進む。

これは、海外一人旅にも、今のブログにも共通している気がする。

自由人への道という名前も、どこか旅に近い。

目的地がはっきり見えているわけではない。

でも、今いる場所から少しずつ動いていく。

あのとき『深夜特急』を見て海外へ行った自分がいたから、今こうしてブログに過去のことを書いているのかもしれない。

そう考えると、人生はなかなか面白い。

きっかけは小さくても、その後につながっていくことがある。

まとめ

大学時代の自分は、何かに熱中しているわけでもなく、長期休暇を持て余しているような人間だった。

そんなとき、偶然テレビで見た『深夜特急』に強く影響を受けた。

バックパッカーという生き方を知り、自分の意思で海外を旅する姿に衝撃を受けた。

そして、自分も海外へ行ってみたいと思うようになった。

英語も不安。

海外経験もない。

でも、行きたいと思ったから動いた。

最初はタイや韓国を中心に、一人で海外へ出るようになった。

結果が完璧だったわけではないけれど、「自分で動いた」という事実は今でも残っている。

あのとき、ただ「面白かった」で終わらせず、少しだけ行動した自分。

それだけは、今でも間違っていなかったと思う。

そしてその経験は、今の「自由人への道」にも、少しだけつながっている気がしている。

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