※2000年9月29日の日記です。
ついに、初めての海外一人旅の最終日を迎えた。
9月21日に日本を出発して、まずは韓国へ。
そこからタイ・バンコクへ渡り、気づけばもう帰国の日。
出発前は、海外に一人で行くこと自体が不安だった。
言葉は通じるのか。
ホテルは取れるのか。
道に迷ったらどうするのか。
ネットで知り合った人と本当に会えるのか。
そんな不安を抱えながら始まった旅だった。
実際、初日からホテルを予約していなくて、金浦空港でいきなり困った。
英語は通じない。
電話カードは逆に入れる。
韓国では自分がソウルにいると思っていたら、実はソウル市内ではなかった。
バンコクに着いてからも、ホテルを決めていなかったし、エースに助けられてようやく宿にたどり着いた。
今思い返すと、かなり危なっかしい。
でも、それでも旅は進んだ。
人に助けられ、何度も戸惑い、少しずつ慣れていった。
そしてこの日。
バンコクを出て、日本へ帰る。
旅の終わりというのは、不思議な気持ちになる。
早く帰って安心したい気持ちもある。
でも、もう少しここにいたい気持ちもある。
初めての海外一人旅の最終日は、そんな寂しさと達成感が混ざった一日だった。
朝、旅の終わりを迎えたホテルで
朝、目を覚ましたのは10時近くだった。
旅の最終日にしては、やや遅めの起床。
でも、前日まで毎日のように歩き回り、夜も出かけていたので、体はかなり疲れていたのだと思う。
ホテルの部屋で目を覚ました瞬間、
「ああ、今日帰るのか」
と思った。
昨日までなら、今日はどこへ行こうか、何を食べようか、誰に会うのか、そんなことを考えていた。
でも、この日は違う。
帰国の日。
バンコクで過ごす最後の日だった。
韓国から始まって、タイまでやって来た今回の旅。
数日前まで、海外に出ることすら不安だった自分が、こうして帰国の日を迎えている。
それが少し不思議だった。
10時近くに起きて、荷物をまとめ始めた。
部屋には、市場で買ったTシャツや小物、使い込んだガイドブック、汗を吸った服、旅の途中で買ったものなどが散らばっていた。
昨日までなら、ただの荷物だった。
でも、この日になると、それらが全部、思い出の品に見えてくる。
散らばった荷物が思い出に見える
市場で買ったTシャツ。
友人へのお土産。
旅の途中で買い替えた財布。
ガイドブック。
使い古した服。
ホテルの部屋に広がった荷物を一つずつまとめながら、旅の場面が少しずつ浮かんできた。
韓国の空港で困ったこと。
ホテルの女性スタッフに助けてもらったこと。
Wonと初めて会ったこと。
仁寺洞でゆず茶を飲んだこと。
ソウルタワーから夜景を見たこと。
タイへ向かう空港でタイ人女性と出会ったこと。
エースに連れられてバンコクの夜を見たこと。
トゥクトゥクに乗ったこと。
チャオプラヤー川の濁った水。
コブラを触って気持ち悪かったこと。
Maiとタイスキを食べたこと。
雨宿りの中で、宇多田ヒカルの「Automatic」を聴いたこと。
パッポンで怪しいTシャツを買ったこと。
どれも、旅の最中はただ目の前で起きていた出来事だった。
でも、帰る日になると、急に全部が思い出になる。
これが旅の終わりの不思議なところだと思う。
「ああ、もう終わるんだな」
そんな寂しさが少しあった。
ホテルをチェックアウトする
荷物をまとめ、チェックアウトを済ませた。
バンコクで泊まったホテルを出る。
このホテルも、最初はエースに連れてきてもらった場所だった。
バンコクに到着した夜、ホテルを決めていなかった自分に、エースが「安いホテルを知っている」と言って案内してくれた。
あのときは本当に助かった。
初めてのタイ。
夜のバンコク。
ホテル未定。
今考えても、かなり無謀である。
でも、このホテルを拠点にして、バンコクでいろいろな場所へ行った。
ナナプラザ。
王宮。
ワット・プラケオ。
カオサン通り。
プラトゥーナム市場。
伊勢丹。
パッポン。
Maiとの待ち合わせ。
このホテルに戻るたびに、少し安心した。
海外一人旅では、ホテルの部屋が小さな基地になる。
外では言葉も分からず、暑さもあり、人混みもあり、常にどこか緊張している。
でも部屋に戻れば、荷物を置ける。
シャワーを浴びられる。
ベッドに横になれる。
それだけでかなり落ち着く。
その基地を出るとき、いよいよ旅が終わるのだと実感した。
ホアランポーン駅へ向かう
ホテルを出ると、朝からバンコクは蒸し暑かった。
外へ出た瞬間、南国の空気が体を包む。
もう何日もこの暑さの中を歩いているのに、やっぱり暑い。
ただ、最初にバンコクへ着いたときよりは、少し身体が慣れていた気もする。
ホテル前でトゥクトゥクを捕まえ、ホアランポーン駅へ向かうことにした。
空港へ向かうためである。
トゥクトゥクは、バンコクで何度か乗った。
最初はかなり新鮮だった。
風を感じながら走る三輪タクシー。
エンジン音。
道路の熱気。
排気ガス。
車やバイクの間を進んでいく感じ。
日本ではなかなか味わえない乗り物だった。
最終日に乗るトゥクトゥクは、少しだけ名残惜しかった。
道路には車が多く、クラクションも鳴っている。
露店の準備をする人。
制服姿の学生。
道端で寝ている犬。
果物を売る屋台。
数日前には、すべてが珍しく見えた景色だった。
でもこの日は、少し見慣れた風景になっていた。
見慣れてきたバンコクの景色
旅の初めは、見るものすべてが新しかった。
韓国の看板。
金浦空港の空気。
バンコクの夜。
ナナプラザのネオン。
トゥクトゥク。
屋台。
市場。
最初は、何を見ても「海外だ」と思っていた。
でも数日過ごすと、少しずつその景色に慣れてくる。
もちろん、完全に地元の人のようになるわけではない。
自分はただの旅行者である。
タイ語も分からない。
道も完全には分からない。
でも、最初のような強い緊張は薄れていた。
この道には屋台が出る。
この時間帯は人が多い。
トゥクトゥクは交渉が必要。
タクシーはメーターを使ってもらう。
そういうことを、少しずつ覚えていった。
数日前には全部が未知だった景色が、この日は少しだけ自分の中に馴染んでいた。
だからこそ、離れるのが寂しかったのかもしれない。
旅は、慣れてきた頃に終わる。
これは本当にそうだと思う。
ホアランポーン駅の熱気
ホアランポーン駅に着くと、人の多さに驚いた。
当時のホアランポーン駅は、タイ鉄道の中心地のような場所だった。
地方へ向かう人。
旅行者。
仕事で移動する人。
荷物を抱えた人。
駅の中には、いろいろな人がいた。
日本の駅とはまた違う熱気があった。
日本の駅は、きれいに整っていて、案内も分かりやすく、人の流れもある程度整理されている。
でもホアランポーン駅には、もっと生活感があった。
人の声。
荷物。
列車を待つ空気。
暑さ。
どこか雑多で、でも力強い雰囲気。
「ここからいろいろな場所へ人が移動しているんだな」
そんなことを感じた。
空港へ向かうだけの自分にとっても、この駅は印象的だった。
バンコク最後の移動が、タクシーではなく列車になったのは、今思えば良かったと思う。
街を抜けていく景色を、最後にゆっくり見ることができたからだ。
空港まで5バーツという衝撃
切符売り場で、空港方面への列車の切符を買った。
そこで驚いたのが、運賃の安さだった。
空港まで約1時間なのに、たった5バーツ。
日本円で15円ほど。
安すぎる。
日本の感覚では考えられない。
もちろん、当時の物価や列車の種類、座席の違いなどもあるのだろう。
でも、初めて聞いたときはかなり驚いた。
空港まで1時間乗って15円。
自分の中の交通費の感覚が一瞬おかしくなる。
少し高い席にしようと思って聞いてみたが、売り切れとのことだった。
前日に予約しないと難しいらしい。
そのため、自分は3等席に乗ることになった。
3等席。
響きだけ聞くと少し不安になる。
でも、そのときの自分には、それもまた旅らしく感じた。
最終日に少しきれいな席で楽に移動するのもいい。
でも、タイの普通の列車に乗るのも悪くない。
むしろ、最後にその国の日常に近い移動ができる気がした。
3等席の列車に乗る
3等席は、簡素な造りだった。
座席はビニール張り。
豪華さはない。
快適さも、日本の電車と比べればかなり違う。
でも、不思議と嫌な感じはしなかった。
むしろ旅らしくて良いと思った。
高級な移動ではない。
観光客向けに整えられた空間でもない。
現地の人たちが普通に使っている列車。
その中に自分も混ざっている。
それが少しうれしかった。
旅の最終日に、こういうローカルな移動ができたのは良かったと思う。
座席に座り、荷物を足元に置く。
窓の外を見る。
列車が動き出す。
バンコクの街が少しずつ流れていく。
この瞬間、
「ああ、本当に帰るんだな」
という気持ちが強くなった。
飛行機に乗る前に、列車で街を離れていく時間。
それは、旅の終わりをゆっくり受け入れる時間のようだった。
列車の窓から見たタイの日常
列車が動き出すと、窓の外にはバンコクの街並みが流れていった。
市場。
住宅街。
線路脇で遊ぶ子どもたち。
洗濯物が揺れる家々。
遠くに見えるビル群。
どれも、特別な観光名所ではない。
でも、ずっと見ていられた。
何でもない景色のはずなのに、妙に心に残る。
旅の最後だからかもしれない。
これまで歩いてきたバンコクの街が、列車の窓から少しずつ遠ざかっていく。
そこには、自分が観光客として見た場所だけではなく、現地の人たちの日常があった。
市場で働く人。
家の前にいる人。
線路脇で遊ぶ子ども。
干された洗濯物。
そういう普通の景色が、旅の最後にはとても大事に見えた。
王宮やワット・プラケオも良かった。
チャオプラヤー川も印象に残っている。
でも、列車の窓から見る日常の景色も同じくらい旅だった。
世界の車窓からみたいだと思う
窓の外を眺めながら、
「世界の車窓からって、こういう感じなんだろうな」
と思った。
一人で列車に乗り、知らない国の景色が流れていく。
言葉も分からない。
車内の人たちの会話も分からない。
でも、窓の外の景色は見える。
それだけで十分だった。
この時間は、とても静かな記憶として残っている。
旅の中には、派手な場面もたくさんあった。
ナナプラザの夜。
パッポンの露店。
Maiの歌声。
エースとの出会い。
韓国でのWonとの一日。
でも、この列車の時間は、それらとは違う静けさがあった。
旅の最後に、バンコクの日常を窓から見ながら空港へ向かう。
自分の中では、かなり印象深い時間だった。
特に何か大きな出来事があったわけではない。
ただ列車に乗って、外を見ていた。
それだけなのに、今でも思い出せる。
旅の記憶は、やっぱり不思議だ。
空港に到着する
空港に着いたのは、15時近くだった。
しかし、自分の出発便は深夜0時05分。
まだかなり時間があった。
ここで、またやってしまった感じがある。
韓国を出発するときも、早く空港に着きすぎて、出発までかなり待った。
遅れるのが怖くて早めに行動する。
その結果、空港で時間を持て余す。
旅行初心者らしい動きである。
ただ、国際線に乗り遅れるよりはいい。
そう思って早めに空港へ行ったのだと思う。
でも、15時に空港へ着いて、出発が深夜0時05分。
さすがに長い。
今ならスマホがある。
動画も見られる。
ブログの下書きもできる。
音楽も聴ける。
地図も見られる。
SNSもある。
いくらでも時間を潰せる。
でも2000年当時は、そうはいかなかった。
スマホはない。
ネットも簡単には使えない。
空港での待ち時間は、かなり地味だった。
空港で長い待ち時間を過ごす
空港では、とにかく時間があった。
ベンチに座る。
売店を見る。
また座る。
少し眠る。
また起きる。
時計を見る。
まだ時間がある。
その繰り返しだった。
旅の最後としては、とても地味な時間である。
でも、こういう時間も含めて旅だったのだと思う。
旅行は、楽しい瞬間だけでできているわけではない。
移動時間。
待ち時間。
空港でぼーっとする時間。
疲れて眠る時間。
そういう地味な時間が、意外と旅の大部分を占めている。
特に一人旅では、待ち時間に話し相手がいない。
誰かと一緒なら、思い出話をしたり、次の予定を話したり、食事をしたりできる。
でも一人だと、自分の中で時間を過ごすしかない。
ただ、最終日の空港でぼーっとする時間は、旅を振り返る時間にもなった。
韓国のこと。
タイのこと。
出会った人のこと。
失敗したこと。
うまくいかなかったこと。
楽しかったこと。
そういうものが、少しずつ頭の中に浮かんでは消えていった。
空港で感じた旅の余韻
深夜便までの長い待ち時間は退屈だった。
でも同時に、少しありがたい時間でもあった。
もし昼の便ですぐ帰っていたら、旅の余韻を味わう暇もなかったかもしれない。
チェックアウトして、空港へ行って、すぐ飛行機に乗って帰る。
それはそれで楽だ。
でも、空港で長く待つことで、
「本当に終わるんだな」
と何度も思う時間があった。
旅の終わりを、じわじわ受け入れる時間だった。
荷物をそばに置き、周りの人を見る。
これからどこかへ向かう人。
帰国する人。
乗り継ぎを待つ人。
空港には、いろいろな旅の途中の人がいる。
その中に自分もいた。
初めての海外一人旅を終えて、日本へ帰ろうとしている大学生。
出発前とは少し違う自分になっている気がした。
大げさではなく、ほんの少し。
でも、その少しが大きかった。
深夜、ついに帰国へ
23時頃になり、ようやく搭乗口へ向かった。
眠い目をこすりながら、出国手続きを済ませる。
パスポートにスタンプが押される。
その瞬間、
「本当に一人で海外に来ていたんだな」
と実感した。
出国のスタンプ。
入国のスタンプ。
それは、ただの印ではある。
でも、自分にとっては証拠のようなものだった。
自分は本当に日本を出て、韓国へ行き、タイへ来て、そして帰ろうとしている。
数日前まで、海外経験もなく、不安だらけだった大学生の自分。
そんな自分が、韓国とタイを一人で回って帰ろうとしている。
少しだけ、自信になった。
もちろん、完璧な旅ではなかった。
むしろ失敗だらけだった。
でも、失敗しながらも帰ってこられる。
それが大きかった。
旅は、うまくやることだけが大事ではない。
分からないなりに進むこと。
困ったときに助けてもらうこと。
そして最後にちゃんと帰ってくること。
それだけでも十分だった。
飛行機から見たバンコクの夜
飛行機に乗り込み、窓の外を見ると、バンコクの夜景が広がっていた。
この街の暑さ。
人混み。
屋台の匂い。
ネオン。
トゥクトゥクの音。
市場の熱気。
スコール。
優しかった人たち。
それらが全部、夜景の中に溶けているように感じた。
バンコクには、たった数日しかいなかった。
でも、ものすごく濃かった。
初めてのタイ。
初めてのバンコク。
初めてのトゥクトゥク。
初めてのタイスキ。
初めてのパッポン。
初めてのチャオプラヤー川。
初めて会ったエース。
初めて会ったMai。
全部が初めてだった。
飛行機が動き出すと、少し寂しさが増した。
旅の終わりは、いつも少し切ない。
特に初めての旅の終わりは、余計にそうだった。
「また来たい」
そう思ったのかもしれない。
少なくとも、この旅で海外が嫌いになることはなかった。
むしろ、もっと見てみたいと思った。
日本へ帰る安心感
飛行機に乗ると、日本へ帰る安心感もあった。
やっぱり日本語が通じる場所へ戻れるのは大きい。
水も食事も、交通機関も、日常のルールも分かる。
家に帰れば、緊張しなくていい。
海外一人旅は面白い。
でも、ずっと緊張している部分もある。
言葉が通じない。
道が分からない。
相場が分からない。
安全かどうかも常に少し気にしている。
その緊張から解放されると思うと、安心感もあった。
帰りたくない気持ちと、帰れる安心感。
その両方があった。
旅の最後は、いつもこの二つが混ざるのかもしれない。
バンコクを離れる寂しさ。
でも日本に帰れる安心。
その中で、自分は深夜便の飛行機に乗っていた。
おそらく機内では、またすぐ寝たと思う。
旅の疲れが一気に出たのだろう。
帰国後、Maiとの連絡
帰国後、しばらくはMaiと連絡を取っていた。
ICQで知り合い、バンコクで実際に会ったMai。
タイスキを食べ、タイ語を教えてもらい、スコールの中で雨宿りをした。
そして、宇多田ヒカルの「Automatic」を歌ってくれた。
その記憶は、今でも残っている。
ただ、その後いつしか連絡は途絶えてしまった。
メールアドレスが変わったのか。
生活が変わったのか。
自然に離れていったのか。
理由は分からない。
今のようにSNSで簡単につながり続けられる時代ではなかった。
LINEもない。
Facebookも一般的ではない。
スマホもない。
メールアドレスが変われば、それだけで連絡が途切れることもある。
今なら、SNSで検索して再会できる可能性もあるのかもしれない。
でも当時は、一度切れた縁をつなぎ直すのは簡単ではなかった。
だからこそ、そのとき、その場所で会えたことが貴重だったのだと思う。
連絡が途絶えても残るもの
Maiとの連絡が途絶えたことは、少し寂しい。
でも、不思議と嫌な記憶ではない。
旅先で出会った人とは、ずっとつながり続けるとは限らない。
むしろ、短い時間だけ出会って、その後はそれぞれの生活に戻っていくことのほうが多いのかもしれない。
それでも、その時間が消えるわけではない。
バンコクで会ったこと。
タイスキを食べたこと。
雨宿りをしたこと。
歌を聴いたこと。
それらは、連絡が途絶えても記憶の中に残っている。
人との出会いは、長さだけではない。
数時間でも、強く残ることがある。
この旅では、それを何度も感じた。
韓国のWon。
ホテルの女性スタッフ。
空港で出会ったタイ人女性。
エース。
Mai。
パッポンで出会った日本人女性。
屋台のおばさん。
短い出会いばかりだった。
でも、その一つひとつが、旅の記憶を作っている。
初めての海外一人旅で得たもの
初めての海外一人旅は、不安と失敗の連続だった。
ホテル未予約。
英語が通じない。
電話カードの逆挿し。
地名の聞き間違い。
自分がどこにいるのか分からない。
タクシーの交渉。
市場での値段交渉。
辛すぎるタイスキ。
微妙だったビーフシチュー。
怪しいTシャツ。
思い出すと、スマートな旅とは程遠い。
でも、そのすべてが面白かった。
完璧に計画された旅行ではなかった。
むしろ、穴だらけだった。
でも、だからこそ人に助けられた。
だからこそ自分で何とかしようとした。
だからこそ記憶に残った。
旅に出る前より、帰ってきた自分のほうが、少しだけ強くなっていたと思う。
大げさに人生が変わったとは言わない。
でも、知らない国へ一人で行って帰ってきた。
その経験は、自分の中に小さな芯のようなものを残した。
世界は広いと知った
2000年9月のこの旅は、自分にとって人生の大きな転機だった。
世界は広い。
そんなことは、行く前から頭では分かっていた。
でも、実際に行ってみると、まったく違う。
韓国で言葉が通じない不安。
タイの暑さ。
バンコクの夜の熱気。
市場の人混み。
列車の窓から見た日常。
日本では当たり前だったことが、海外では当たり前ではない。
逆に、海外では普通のことが、自分には驚きになる。
それを体で知った。
そして、知らない場所へ行くと、知らない自分にも出会える。
自分は意外と動けるのかもしれない。
困っても、誰かに助けてもらえば進めるのかもしれない。
言葉が完璧でなくても、人とは少し通じ合えるのかもしれない。
そんなことを知った。
この旅がなければ、自分の中の世界はもう少し狭いままだったと思う。
深夜特急に背中を押されて、勢いで出た初海外一人旅。
危なっかしかったけれど、行ってよかった。
まとめ
2000年9月29日。
初めての海外一人旅は、ついに最終日を迎えた。
朝、バンコクのホテルで10時近くに目を覚まし、荷物をまとめ始めた。
部屋には、市場で買ったTシャツや小物、使い込んだガイドブック、汗を吸った服などが散らばっていた。
旅の途中ではただの荷物だったものが、この日は全部思い出の品に見えた。
「ああ、もう終わるんだな」
そんな寂しさを感じながら、チェックアウトを済ませた。
ホテルを出ると、バンコクは朝から蒸し暑かった。
ホテル前でトゥクトゥクを捕まえ、ホアランポーン駅へ向かった。
エンジン音を響かせながら走る三輪タクシー。
道路には車が多く、クラクションも鳴っている。
露店の準備をする人、制服姿の学生、道端で寝ている犬、果物を売る屋台。
数日前にはすべてが珍しかった景色も、この日は少し見慣れた風景になっていた。
ホアランポーン駅に着くと、人の多さに驚いた。
当時のタイ鉄道の中心地らしく、地方へ向かう人、旅行者、仕事で移動する人など、多くの人で賑わっていた。
切符売り場で空港方面への列車の切符を買うと、空港まで約1時間なのにたった5バーツ。
日本円で15円ほどという安さに驚いた。
少し高い席にしようと聞いてみたが、売り切れとのこと。
前日に予約しないと難しいらしく、自分は3等席に乗ることになった。
3等席は簡素な造りで、座席はビニール張りだった。
でも、不思議と嫌な感じはしなかった。
むしろ旅らしくて良いと思った。
列車が動き出すと、窓の外にはバンコクの街並みが流れていった。
市場、住宅街、線路脇で遊ぶ子どもたち、洗濯物が揺れる家々、遠くに見えるビル群。
何でもない景色なのに、ずっと見ていられた。
「世界の車窓からって、こういう感じなんだろうな」
そんなことを思いながら、一人で外を眺めていた。
空港に着いたのは15時近く。
しかし、出発便は深夜0時05分だったため、まだかなり時間があった。
今のようにスマホもない時代。
空港で時間を潰すのは簡単ではなかった。
ベンチに座る。
売店を見る。
また座る。
少し眠る。
その繰り返し。
旅の最後としては地味な時間だったが、こういう待ち時間も含めて旅だったのだと思う。
23時頃になり、ようやく搭乗口へ向かった。
眠い目をこすりながら出国手続きを済ませ、パスポートにスタンプが押される。
その瞬間、
「本当に一人で海外に来ていたんだな」
と実感した。
数日前まで、海外経験もなく、不安だらけだった大学生の自分。
そんな自分が、韓国とタイを一人で回って、日本へ帰ろうとしている。
少しだけ、自信になった。
飛行機に乗り込み、窓の外を見ると、バンコクの夜景が広がっていた。
この街の暑さ、人混み、屋台の匂い、ネオン、優しかった人たち。
全部まとめて、忘れられない思い出になった。
帰国後、しばらくはMaiと連絡を取っていた。
けれど、いつしか連絡は途絶えてしまった。
メールアドレスが変わったのか、生活が変わったのか、自然に離れていったのか。
理由は分からない。
今のようにSNSで簡単につながり続けられる時代ではなかったからこそ、その時その場所で出会えた縁は、とても貴重だったのだと思う。
初めての海外一人旅は、不安と失敗の連続だった。
言葉も通じず、道にも迷い、ホテル探しにも苦労した。
それでも、そのすべてが面白かった。
旅に出る前より、帰ってきた自分のほうが少しだけ強くなっていた。
2000年9月のこの旅は、自分にとって人生の大きな転機だった。
世界は広く、知らない場所へ行けば、知らない自分にも出会える。
そんなことを教えてくれた、忘れられない初めての海外一人旅だった。
そして最後に思う。
ホテル未予約で海外へ行くのは、今なら絶対におすすめしない。
でも、あの無茶な一歩があったから、今でもこうして書ける旅になった。
若さと無知と少しの勇気。
たぶん、あの旅の装備はそれだけだった。
それでも、十分すぎるくらい濃い9日間だった。