日々の気づき・生活

どんと焼き|河川敷の迫力と朝散歩

2026年1月12日

朝5時20分に起きた日

朝5時20分に起きました。

こう書くだけで、もう自分の中ではかなりの事件です。

普段から毎日きっちり早く起きて、朝の空気を吸いながら丁寧に暮らしています、みたいな生活ではありません。むしろ、朝はできるだけ布団と平和条約を結んでいたい派です。布団側もなかなかこちらを離してくれません。あれはたぶん、かなり強力な引力を持っています。

それでも、この日は起きました。

朝5時20分。

眠いです。普通に眠い。

起きた瞬間から頭がすっきりしているわけもなく、まずは「本当に起きるのか、自分」と心の中で確認しました。こういうとき、人は一度だけ現実から逃げようとします。目覚ましを止めて、布団の中であと少しだけ……と思うあの時間。危険です。あそこに入ると戻ってこられません。

なので、なんとか起きました。

まだ外も暗さが残る時間帯。部屋の中も静かで、普段の生活音もほとんどありません。東京都多摩地区の古い賃貸アパートの一室で、もそもそと支度をする朝。キラキラしたモーニングルーティンとはほど遠いです。

洗面所も寒い。
服を着替えるのも少し面倒。
でも行くと決めたので行く。

こういう早朝の出発は、出かける前が一番しんどい気がします。いざ外に出てしまえば、なんとなく体も動き出すのですが、家の中にいるうちは布団の気配がずっと背中を引っ張ってきます。

出発したのは5時35分ごろでした。

起きてから15分ぐらいで出発。

自分にしては、なかなか立派です。寝ぼけた頭でよく動いたなと思います。朝から自分を少しだけほめておきたい。誰もほめてくれないなら、自分で雑にほめるしかありません。

とはいえ、立派な準備をしたわけではなく、かなり慌ただしい感じです。寒さに負けないようにしながら、必要なものを持って外へ。まだ一日が始まったばかりというより、世の中がまだ起ききっていないような時間です。

そんな時間に家を出るだけで、少しだけ特別なことをしている気分になりました。

目的地は、河川敷で行われるどんと焼きです。

まだ静かな道を歩く

5時35分ごろに出発すると、さすがに周りは静かです。

朝の早い時間の道は、いつも見ている場所でも少し違って見えます。車の音も少なく、人の気配も少ない。空気もひんやりしていて、歩き始めは体がなかなか温まりません。

こういう時間に歩いていると、自分だけ少し早く動き出してしまったような気分になります。

普段なら、まだ寝ていてもおかしくない時間です。むしろ、できれば寝ていたい。けれど、この日はどんと焼きを見に行くという目的がありました。

はじめて見に行くどんと焼き。

正直、どんな感じなのかは行くまであまり分かっていませんでした。名前は聞いたことがあっても、実際に見たことはありません。なんとなく火を焚く行事というくらいのイメージです。

でも、早朝にわざわざ起きて行くからには、きっと何かあるはず。

そんな期待と、まだ眠い頭と、寒さと、少しの面倒くささを抱えながら歩きました。

徒歩で向かうので、朝からしっかり体を動かすことになります。普段の移動だと、つい楽なほうを選びがちです。少し遠いだけで、バスや電車のことを考えたりします。買い物も近場で済ませようとすることが多いです。

でも、この日は歩く。

しかも、帰りまで含めるとけっこう歩くことになります。

この時点ではまだ元気です。
眠いけれど、元気ではあります。
空腹になる前の自分は、まだ強気です。

歩きながら、「朝から良い運動になるな」と思いました。

この言葉、便利です。

しんどいときも「良い運動」と言えば、少しだけ前向きになります。実際は息が上がったり、足が疲れたり、途中でお腹が空いたりするのですが、それもまとめて「良い運動」です。かなり広い言葉です。

早朝の道を歩いていると、日常の音がまだ少ない分、自分の足音や息の音が目立ちます。寒さで体が縮こまっていても、歩いているうちに少しずつ温まってくる感じがありました。

出かける前は布団から出るのがあんなに大変だったのに、外に出ると少し気分が変わります。

「来てよかったかもしれない」

この時点で、もう少しだけそう思い始めていました。

河川敷のどんと焼きへ

どんと焼きは河川敷で行われていました。

河川敷という場所は、広さがある分、火を使う行事には合っているのかもしれません。周りが開けていて、空も広く感じます。早朝の空気の中で河川敷に向かうと、いつもの散歩とは違う雰囲気がありました。

会場に近づくにつれて、少しずつ人の気配も出てきます。

同じように早起きして来た人たちがいるのだと思うと、なんだか少し安心します。自分だけが眠い目をこすって歩いているわけではない。みんな何かしらの気合いを持って、この時間にここへ来ているわけです。

早朝に河川敷へ集まる人たち。

それだけで少し非日常です。

普段なら、朝のこの時間にわざわざ河川敷まで歩くことはあまりありません。生活の中で「河川敷へ行こう」となる日も多くはないです。しかも目的はどんと焼き。こういう行事があるからこそ、いつもとは違う動きができます。

会場には消防車なども待機していました。

それを見たとき、「あ、これは本格的な行事なんだな」と感じました。

火を扱う以上、当然なのかもしれません。でも実際に消防車が待機しているのを見ると、ただの見物気分だけではなく、きちんと準備された場なのだと分かります。こういう裏側というか、安全を支えている人たちがいるから、見に来る側は安心して見られるのだと思います。

普段、そういうことはあまり意識しません。

イベントや行事に行くと、つい目の前の迫力や楽しさばかり見てしまいます。でも、こうして朝早くから消防車が待機していたり、関わる人たちが動いていたりするのを見ると、行事は見えない準備で成り立っているんだなと感じます。

自分はただ見に来ただけです。

それでも、その場に立っていると、少し背筋が伸びるような気持ちになりました。

はじめて見た迫力

はじめて見に来たどんと焼きは、想像以上にすごかったです。

とにかく迫力がありました。

言葉にすると「迫力があった」の一言になってしまうのですが、実際にその場で見ると、体に来る感じがあります。写真や動画で見るのとは違って、目の前にある火の勢い、熱、音、周りの空気まで含めて伝わってきます。

火って、こんなに存在感があるんだなと思いました。

普段の生活で見る火といえば、コンロの火くらいです。しかも最近は、火の扱いにもかなり気を使います。料理中の火でさえ、つけっぱなしにしていないか気になるくらいです。

それが河川敷で、しっかりとした規模で燃え上がる様子を見ると、同じ火でもまったく違うものに感じます。

近づきすぎるわけにはいきません。
でも、遠くからでも分かる勢いがあります。
ただ見ているだけなのに、少し圧倒されます。

はじめて見たので、なおさら驚きました。

「これはすごいな」と素直に思いました。

早起きしてよかったです。あのまま布団と一体化していたら、この迫力は見られませんでした。布団の勝利を許さなくてよかった。朝の自分、よくやった。

もちろん、眠さはありました。寒さもありました。歩くのも楽ではありません。

でも、目の前のどんと焼きを見たら、そういうものが少し引っ込みました。早朝の冷たい空気の中で見る火の勢いは、なんとも言えないものがあります。体は寒いのに、目の前は熱を持っている。その差がまた印象に残ります。

見に来る前は、ここまで気持ちが動くとは思っていませんでした。

行事としての名前は知っていても、実際にその場に立つと全然違います。聞いたことがある、知っているつもりでいる、というのと、自分の目で見ることはやっぱり別です。

これは来てみないと分からないなと思いました。

消防車が待機している安心感

河川敷には消防車などが待機していました。

どんと焼きの迫力に驚きながらも、その存在があることで少し安心しました。

火の勢いがある行事なので、見ている側としても「大丈夫かな」と一瞬思う場面があります。もちろん、きちんと準備されているからこそ行われているのですが、実際に消防車が待機しているのを見ると、見えないところまで考えられているのが分かります。

こういう行事は、ただ火をつけて終わりではありません。

場所の準備があり、見に来る人への対応があり、安全のための体制があり、終わったあとの片づけもあるはずです。自分は見に来て「すごい」と言っているだけですが、その裏ではたくさんの段取りがあるのだと思います。

朝早くから動いている人たちがいる。

そのおかげで、こちらは迫力のある場面を見ることができる。

そう考えると、ありがたいです。

自分の生活でも、目に見える部分だけで判断しがちです。料理が出てくれば「美味しい」と食べる。イベントがあれば「楽しかった」と帰る。でも、その前後には必ず誰かの準備や手間があります。

実家で弟が作ってくれる明石焼きもそうですが、食べる側や見る側は簡単です。美味しい、すごい、楽しい。言うだけなら一瞬です。

でも、それを成り立たせる人たちがいます。

どんと焼きを見ながら、そんなことも少し思いました。

もちろん、ずっと真面目に考えていたわけではありません。火の迫力に「おお……」となっている時間のほうが長かったです。日記なので、そこは正直に書いておきます。

でも、消防車が待機している景色は印象に残りました。

安心感と同時に、この行事の大きさを感じました。

早起きして見に来た価値があった

行く前は眠かったです。

これはもう、間違いありません。

朝5時20分に起きて、5時35分ごろに出発。普段から早朝にバリバリ動いているタイプならともかく、自分にとってはなかなかの挑戦です。

しかも徒歩です。

家を出る前は、「本当に行くのか」と思っていました。出かける準備をしながらも、心のどこかでまだ布団に戻る道を探していました。人間、眠いときはすぐ逃げ道を探します。

でも、結果として見に来てよかったです。

はじめてのどんと焼きは、かなり印象に残りました。

早朝の河川敷で、火の迫力を見て、消防車が待機している様子も見て、行事としての空気を感じる。これは家にいたら味わえません。動画でも知ることはできるかもしれませんが、体で感じるものはやっぱり違います。

火の勢いを見ると、頭で考えるより先に「すごい」と思います。

その単純な驚きがよかったです。

最近は、何かを見る前からスマホで情報を探したり、行く前に感想を読んだりしがちです。便利なのですが、先に知りすぎると驚きが薄くなることもあります。

今回は、自分の中ではかなり新鮮でした。

はじめて見たからこその驚きがありました。

行く前にあれこれ考えていた眠さや面倒くささも、見たあとは少し笑えるものになります。あんなに布団と戦っていたのに、来てしまえば「また来年も見に来たいな」と思っているわけです。

現金なものです。

でも、こういう現金さは嫌いではありません。

行くまでは面倒。
行ったら楽しい。
帰るころには、また来たいと思っている。

人はけっこう単純です。

少なくとも私はかなり単純です。

帰りはお腹がペコペコ

どんと焼きを見たあとの帰り道。

お腹が減ってペコペコでした。

早朝に起きて、歩いて、河川敷まで行って、どんと焼きを見て、また歩く。そりゃお腹も減ります。

朝から良い運動になったのは間違いありません。間違いありませんが、運動をするとお腹が空きます。とても自然な流れです。

この「良い運動」と「お腹ペコペコ」は、だいたいセットでやってきます。

歩きながら、頭の中はだんだん食べ物のことに寄っていきました。見に行く前はどんと焼きのことで頭がいっぱいだったのに、帰り道では空腹が主役になります。人間の集中力は、胃袋にかなり影響されます。

お腹が空いてくると、景色の見え方も少し変わります。

さっきまで「朝の空気が気持ちいいな」なんて思っていたのに、だんだん「何か食べたい」に変わっていきます。気持ちの移り変わりが分かりやすい。

こういうところに、生活感が出ます。

せっかく迫力あるどんと焼きを見て、少し静かな気持ちになったのに、帰り道では普通にお腹が空いています。感動と空腹は共存します。むしろ、早朝から動いた日の空腹はかなり強いです。

徒歩で1時間以上歩くことになるので、朝からしっかり体を使いました。

普段の生活では、意識しないと長く歩く機会はなかなか作れません。買い物も近場で済ませたり、少し疲れていると移動を楽にしたりします。だから、こういう行事に合わせて自然と歩けるのはいいことです。

ただし、お腹は減ります。

そこは避けられません。

帰り道の自分は、たぶんかなり食べ物のことを考えていました。体を動かしたあとの空腹は、妙に正直です。どこかで何か食べたい。温かいものがいい。しっかり食べたい。そんな気持ちがどんどん増えていきます。

どんと焼きの迫力もすごかったですが、帰り道の空腹もなかなかの迫力でした。

徒歩1時間以上の朝散歩

徒歩1時間以上歩くので、朝から良い運動になりました。

こういう書き方をすると、すごく健康的な一日の始まりに見えます。

実際、健康的ではあります。朝早く起きて、外を歩いて、河川敷まで行って、どんと焼きを見て、また歩く。文字にすると、かなり良い感じです。

ただ、実際の私はそんなに爽やかではありません。

眠い。
寒い。
お腹が空いた。
足もそこそこ疲れる。

このあたりの現実がちゃんとあります。

でも、そういう現実込みで良い運動でした。

徒歩1時間以上というのは、普段の生活の中ではなかなかの距離です。歩き始めは体が重くても、しばらく歩いていると少しずつ調子が出てきます。朝の空気を吸いながら歩くと、体の中に少しずつスイッチが入る感じがありました。

もちろん、途中で「まだ歩くのか」とも思います。

良い運動という言葉で包んではいますが、疲れるものは疲れます。特に帰り道は、お腹が空いている分、足取りにも生活感が出ます。行きは目的地に向かう勢いがありますが、帰りは「早く何か食べたい」という気持ちが前に出ます。

目的が変わっています。

行きはどんと焼き。
帰りは食べ物。

とても分かりやすいです。

でも、朝からこれだけ歩くと、一日をちゃんと始めた感じがします。休日の朝にだらだら過ごすのも好きですが、こうして早く起きて外に出ると、それはそれで気持ちがいいです。

たまにはこういう朝も悪くありません。

毎日やれと言われると、急に無口になります。そこまでの自信はありません。ですが、行事がある日に早起きして歩くくらいなら、またやってみたいと思いました。

歩いている途中で見える景色も、時間帯が違うと少し新鮮です。いつもの道でも、朝早いだけで空気が違います。人の少なさ、静けさ、冷えた空気。そういうものを感じながら歩くのは、思ったより気持ちよかったです。

そして、体を動かしたあとの空腹。

これもまた、朝の記録としては大事です。

どんと焼きを見に行ったという一日なのに、帰り道でお腹がペコペコだったこともしっかり覚えています。こういうところが、日記としてはむしろ本体なのかもしれません。

また来年も見に来たい

はじめて見に来たどんと焼き。

すごかったです。

迫力がありましたし、朝早くから行った価値がありました。行く前は眠くて少し大変でしたが、見終わったあとは「また来年も見に来たい」と思いました。

これが素直な感想です。

来る前の自分に言ったら、たぶん少し驚くと思います。あれだけ布団から出るのに苦労していたのに、見たあとにはまた来たいと思っている。人の気持ちは本当に変わりやすいです。

でも、そのくらい実際に見る価値がありました。

行事には、実際に足を運んでみないと分からない空気があります。どんと焼きもそうでした。河川敷の広さ、早朝の冷たさ、火の迫力、消防車が待機している安心感、見に来ている人たちの気配。

それらが全部合わさって、この日の記憶になりました。

ただ火を見た、というだけではありません。

朝5時20分に起きたこと。
5時35分ごろに出発したこと。
河川敷まで歩いたこと。
迫力に驚いたこと。
帰りにお腹がペコペコになったこと。
徒歩1時間以上の運動になったこと。

全部込みで、どんと焼きの日です。

来年も見に来たいと思える行事に出会えたのは、ちょっと嬉しいです。

もちろん、来年の自分も朝ちゃんと起きられるかは分かりません。そこは大きな問題です。過去の自分ができたからといって、次も簡単にできるとは限りません。

布団は毎回強敵です。

でも、この日の迫力を覚えていたら、また起きられる気がします。たぶん。いや、起きたい気持ちはあります。

早朝から歩いて、河川敷でどんと焼きを見て、帰りにお腹を空かせる。

地味だけど、なかなか良い朝でした。

まとめ

朝5時20分に起きて、5時35分ごろには出発しました。

まだ眠さもありましたが、河川敷で行われるどんと焼きを見に行くために、なんとか布団から抜け出しました。早朝の外は静かで寒さもありましたが、歩いているうちに少しずつ体も動き出しました。

はじめて見たどんと焼きは、想像以上の迫力でした。

河川敷という広い場所で行われ、消防車なども待機していて、本格的な行事なのだと感じました。火の勢いを目の前で見ると、写真や話で知るのとは違う驚きがあります。早起きして見に来た価値がありました。

帰りはお腹が減ってペコペコ。

徒歩1時間以上歩くことになるので、朝から良い運動にもなりました。良い運動という言葉で包んでいますが、実際にはしっかり疲れますし、しっかりお腹も空きます。でも、それも含めていい朝でした。

また来年も見に来たいです。

問題は、来年の自分が朝5時20分にちゃんと起きられるかどうかです。そこだけは、どんと焼きの迫力よりも手ごわいかもしれません。

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