※2000年9月21日の日記です。
初めての海外一人旅が始まった。
行き先は、韓国とタイ。
今思い返しても、なかなか思い切ったことをしたと思う。
海外旅行そのものが初めて。
しかも一人旅。
さらに、ホテルもちゃんと予約していない。
スマホもない。
Googleマップもない。
翻訳アプリもない。
今の自分なら、出発前の段階で不安になって、いったん落ち着こうかとなる。
でも当時の自分は、若かった。
そして、よく分かっていなかった。
この「よく分かっていなかった」というのが、かなり大きい。
怖さを知らないから動ける。
準備不足でも「なんとかなるだろ」と思える。
そして実際、なんとかならない場面にぶつかる。
でも、そのぶつかった感じも含めて、旅だった。
2000年9月21日。
大学の夏休み。
自分の初海外一人旅は、韓国から始まった。
そして初日から、さっそく迷子みたいな状態になった。
きっかけは沢木耕太郎の深夜特急だった
そもそも、なぜ海外に行こうと思ったのか。
そのきっかけは、沢木耕太郎の「深夜特急」だった。
大沢たかおが主演していたテレビ版。
大学の夏休み、午後に何気なくテレビで流れていたのを見た。
本当に、たまたまだった。
当時の自分は、これといった趣味があるタイプではなかった。
運動が得意なわけでもない。
アウトドア派でもない。
人を集めて何かを企画するような、いわゆるアクティブな人間でもない。
どちらかというと、何をしていいのか分からない大学生だったと思う。
時間はある。
でも、やりたいことがはっきりしていない。
大学の夏休みという、今思えばかなり貴重な時間を持て余していた。
そんなときに見たのが「深夜特急」だった。
香港から始まり、インドへ行き、そしてロンドンへ向かう。
自由すぎる旅。
決められたツアーではなく、自分の足で移動して、人に会って、トラブルに巻き込まれて、それでも先へ進んでいく。
当時の自分には、それがものすごくかっこよく見えた。
「こんな旅、あるのかよ」
と思った。
今なら少し冷静に見られるかもしれない。
旅には危険もあるし、準備も必要だし、勢いだけではどうにもならないことも多い。
でも当時の自分には、とにかく刺さった。
そこで初めて「バックパッカー」という言葉を知った。
リュックを背負って、安宿に泊まりながら旅をする人たち。
今まで自分の生活にはなかった世界だった。
そして思った。
「自分も行ってみたい」
これがすべての始まりだった。
何者でもない大学生が海外に憧れた
今振り返ると、あのときの自分は、何かを変えたかったのかもしれない。
はっきりした目標があったわけではない。
海外に行って人生を変えよう、なんて大げさなことを考えていたわけでもない。
ただ、今のまま夏休みが終わるのが、なんとなく嫌だった。
大学に通って、家にいて、パソコンを触って、ネットをして、何となく時間が過ぎていく。
それが悪いわけではない。
実際、パソコンやネットは好きだった。
でも、どこかで「このままでいいのか」という気持ちもあったのだと思う。
そんなときに見た「深夜特急」は、自分の中に変な火をつけた。
旅に出れば何かが変わるかもしれない。
知らない国に行けば、今までと違う自分になれるかもしれない。
今の47歳の自分から見ると、若いなと思う。
旅に出たからといって、急に立派な人間になるわけではない。
帰ってきたら、また普通に大学生活が待っている。
でも、旅に出る前の自分と、旅に出た後の自分は、やっぱり少し違っていた。
少なくとも、自分の足で海外に行ったという経験は、その後もずっと残った。
このときの自分には、その先のことまでは分かっていなかった。
ただ、行ってみたい。
それだけだった。
行き先は韓国とタイに決めた
最初は、ラオスにも行こうと思っていた。
深夜特急に影響されていたので、できれば少し旅っぽい場所にも行きたかったのだと思う。
でも、ビザの問題があった。
余計なお金もかかる。
当時は今ほど気軽に情報を集められる時代ではない。
スマホで検索して、すぐに最新情報が出てくるわけでもない。
海外旅行の情報も、今と比べるとずっと集めにくかった。
ビザが必要かどうか。
どこで取るのか。
いくらかかるのか。
移動はどうするのか。
そういうことを考えるうちに、ラオスは断念した。
「じゃあ、ビザ不要の国でいいか」
ということで選んだのが、韓国とタイだった。
今思うと、この決め方もかなりざっくりしている。
でも、初海外一人旅としては、韓国とタイという組み合わせは、自分なりに考えた結果だったのだと思う。
韓国は日本から近い。
タイはバックパッカー的な雰囲気もある。
そして、自分にはもう一つ目的があった。
ただ観光するだけではなかった。
ネットで知り合った人に会うこと。
これが、当時の自分にとってはかなり大きな目的だった。
NETOMOとICQで知り合った人に会いに行く
当時、ネットで知り合った人がいた。
交流サイト「NETOMO」で知り合った韓国人のWon。
そして、ICQで知り合ったタイ人のMai。
2000年という時代を考えると、これがまた懐かしい。
今ならSNSもあるし、翻訳機能もあるし、ビデオ通話もある。
相手の情報も、ある程度は確認しやすい。
でも当時は違う。
ネットで知り合うということ自体が、今よりずっと不思議な感じだった。
ICQの「カッコー」という通知音。
海外の人とチャットできるだけで、なんだか世界が広がった気がした。
パソコンの画面の向こうに、外国の人がいる。
文字だけで会話する。
たどたどしい英語で、なんとか意思疎通をする。
それだけでも十分面白かった。
その相手に、実際に会いに行こうと思った。
今考えると、なかなか攻めている。
会ったこともない外国人に会いに行く。
しかも一人で海外へ行く。
よくやったなと思う。
もちろん、危なっかしい。
今ならかなり慎重になる。
でも当時は、ネットでつながった世界と現実の世界がつながることに、ものすごくワクワクしていた。
「画面の向こうの人に、本当に会えるのか」
それを確かめに行くような旅でもあった。
海外旅行の基本装備はトラベラーズチェックだった
海外に行くにあたって、不安はかなりあった。
初めての海外。
初めての一人旅。
言葉も不安。
お金も不安。
何をどう準備すればいいのかも、正直よく分かっていなかった。
今ならクレジットカードやデビットカード、海外ATM、スマホ決済など、選択肢はいろいろある。
でも2000年当時は、今とは感覚が違った。
そこで用意したのが、トラベラーズチェックだった。
いまの若い人は、トラベラーズチェックと言われてもピンとこないかもしれない。
簡単に言えば、海外旅行用の小切手のようなもの。
現金をそのまま持ち歩くより安心で、盗まれても再発行できるという安心感があった。
銀行で買って、サインして持ち歩く。
使うときには、またサインをして照合する。
今思うと、なかなか時代を感じる。
でも当時の海外旅行では、トラベラーズチェックはかなり普通の装備だった。
海外へ行くなら、現金とトラベラーズチェック。
そういう感覚だった。
自分もそれを持って、初めての海外へ向かった。
リュックに荷物を詰めて、トラベラーズチェックを持って、パスポートを確認して、成田へ向かう。
いよいよ始まる。
そう思うと、緊張と期待で落ち着かなかった。
2000年9月21日、大韓航空で韓国へ
2000年9月21日。
人生初の海外。
乗ったのは、大韓航空 KE704便。
成田を14時半に出発して、16時に金浦空港へ到着する便だった。
今は韓国の玄関口というと仁川空港のイメージが強い。
でも当時は、金浦空港が主流だった。
このあたりも、時代を感じる。
飛行機の中のことは、正直あまり覚えていない。
初めての海外フライトなのに、ほとんど記憶がない。
たぶん、緊張しすぎていたのだと思う。
飛行機に乗っている時間よりも、その先のことで頭がいっぱいだった。
入国できるのか。
空港でどうすればいいのか。
ホテルはどうするのか。
Wonにちゃんと連絡できるのか。
韓国語は分からない。
英語も自信がない。
それでも、飛行機は飛んでいく。
もう後戻りはできない。
成田を出発して、韓国へ向かう。
窓の外を見ていたのか、機内食を食べたのか、細かいことはほとんど覚えていない。
でも、心の中でずっと緊張していたことだけは覚えている。
そして、金浦空港に到着した。
ここからが、本当の意味での冒険の始まりだった。
金浦空港に着いてすぐホテル難民になる
韓国に到着して、まず問題になったのはホテルだった。
ホテルを予約していなかった。
今なら、かなりありえない。
最低でも初日の宿くらいは予約する。
特に初海外なら、なおさらだ。
空港からどう移動するのか。
ホテルの住所はどこか。
チェックインは何時までか。
今ならスマホに全部入れておく。
でも当時の自分には、「なんとかなるだろ精神」があった。
そして、なんとかならなかった。
夕方の空港で、いきなり途方に暮れる。
「これ、どうすんの?」
心の中はそんな感じだった。
韓国に着いた。
でも、今日泊まる場所が決まっていない。
周りは知らない言葉。
案内表示もよく分からない。
空港の空気も、日本とは違う。
初海外の高揚感よりも、現実的な不安が一気に来た。
これはまずい。
とりあえず空港内の観光案内所へ向かった。
ここで人生初の英語チャレンジである。
人生初の英語チャレンジは惨敗
観光案内所で、なんとかホテルを探そうとした。
自分の英語力は、かなり怪しかった。
たぶん言ったのは、
「I want… cheap hotel…」
このレベルだったと思う。
安いホテルが欲しい。
いや、ホテルは買うものではない。
泊まりたいのだ。
でも当時の自分には、それを正しく伝える余裕がなかった。
英語を話すというより、単語を並べるだけ。
相手が何かを話してくれる。
でも、リスニング能力はほぼゼロ。
何を言われているのか分からない。
相手の表情とジェスチャーを見ながら、なんとなく察するしかない。
完全に詰みである。
大学で英語を勉強していても、実際の海外で使うとなると全然違う。
教科書の中の英語と、空港の観光案内所で必要な英語は違う。
頭の中ではいろいろ言いたいことがある。
でも口から出てこない。
相手の言葉も聞き取れない。
初海外の現実が、いきなり顔面に飛んできた。
ただ、相手はジェスチャーで「待ってて」というようなことを伝えてくれた。
なので待った。
30分くらい。
これが長かった。
ものすごく長く感じた。
知らない国の空港で、何が起きるのか分からないまま待つ30分。
初日からなかなかの試練だった。
謎のおじさんについていくことになる
しばらく待っていると、どこからともなくおじさんが現れた。
そして、無言で「ついて来い」というようなジェスチャーをした。
え、これ大丈夫なのか。
今なら絶対についていかない。
少なくとも、一度立ち止まって確認する。
誰なのか。
どこへ行くのか。
料金はいくらなのか。
ホテルはどこなのか。
そういうことを確認しないと危ない。
でも当時の自分は、若さと無知でそのまま突っ込んだ。
今思うと、かなり危なっかしい。
ただ、結果的には、このおじさんはめちゃくちゃ良い人だった。
車に乗せてくれて、ホテルまで案内してくれることになった。
車内では、片言の英語で会話をした。
ほとんど通じていなかったと思う。
でも、なんとなく意思疎通はできていた。
言葉は足りない。
文法もめちゃくちゃ。
それでも、相手が助けようとしてくれていることは伝わった。
初海外の初日。
ホテルもなく、英語も通じず、空港で途方に暮れていた自分は、いきなり知らないおじさんに助けられた。
旅の始まりとしては、かなり強い。
初めての海外ホテルはHaeng Ju Hotel
連れて行ってもらったのは、Haeng Ju Hotel。
ヘンジュホテル。
今はもうないらしい。
初めての海外で泊まったホテルとして、名前は今でも記憶に残っている。
ホテルに到着して、次はチェックインで苦戦した。
チェックイン用紙のどこに何を書けばいいのか分からない。
名前。
住所。
パスポート番号。
宿泊日数。
おそらくそういう項目だったのだと思う。
でも、初海外の自分には、それすら一つひとつが難しかった。
何を書けばいいのか。
どこに書けばいいのか。
そもそもちゃんと泊まれるのか。
また不安になる。
すると、ここで救世主が現れた。
ホテルの女性スタッフが、片言の日本語で話しかけてくれた。
「ココ、ナマエ、カイテ」
神かと思った。
本当に助かった。
日本語が少しでも聞こえるだけで、こんなに安心するのかと思った。
たどたどしい日本語でも、こちらにとっては命綱みたいなものだった。
言葉が通じるというのは、こんなにありがたいのか。
初海外初日に、しっかり思い知らされた。
無事にチェックイン完了。
ようやく、今日寝る場所が確保できた。
この安心感は大きかった。
部屋に入った瞬間に疲れが出た
部屋に入ると、一気に疲れが来た。
成田を出て、韓国に着き、ホテルを探し、観光案内所で英語に苦戦し、謎のおじさんについて行き、チェックインでまた苦戦。
まだ旅の初日。
しかも韓国に着いて数時間。
それなのに、体も頭もすでに疲れていた。
ベッドに倒れ込んで、少し休憩した。
緊張しているときは気づかないけれど、安全な場所に入ると急に疲れが出る。
「ああ、とりあえず寝る場所はある」
そう思った瞬間、体の力が抜けたのだと思う。
初海外のホテルの部屋。
特別豪華だったわけではない。
でも、自分にとっては大事な拠点だった。
ここからこの旅が始まる。
そう考えると、ただのホテルの部屋なのに、少し特別に感じた。
しばらく休んで目が覚めると、お腹が空いていることに気づいた。
そういえば、まともに食べていない。
緊張と移動で忘れていたけれど、体はちゃんと空腹を訴えてくる。
とりあえず外に出ることにした。
近くのコンビニでテレホンカードを買う
ホテルの近くを歩いてみると、コンビニを見つけた。
「助かった」
と思った。
知らない国でコンビニを見つけると、妙に安心する。
日本のコンビニとは違う。
でも、明るい店内。
商品が並んでいる棚。
飲み物や食べ物が買える場所。
それだけで、かなり心強い。
ここでテレホンカードを購入した。
目的は、Wonに連絡すること。
NETOMOで知り合った韓国人のWon。
この旅の目的の一つは、彼に会うことだった。
今ならスマホでメッセージを送ればいい。
LINEでも、SNSでも、メールでも、何かしら方法がある。
でも当時は違う。
公衆電話を使う。
テレホンカードを買って、電話をかける。
それが連絡手段だった。
テレホンカードを手に入れた自分は、公衆電話へ向かった。
初海外で、初めての海外通話。
緊張する。
カードを入れる。
番号を押す。
……繋がらない。
何度やってもダメ。
「え、なんで?」
完全に焦った。
番号が間違っているのか。
カードが使えないのか。
電話機の使い方が違うのか。
そもそも海外の電話は、何か特別な操作が必要なのか。
分からない。
全部分からない。
初海外は、分からないことだらけである。
原因はテレホンカードの逆挿しだった
何度やっても電話がつながらない。
仕方なく、ホテルに戻った。
さっき助けてくれた女性スタッフに聞いてみることにした。
すると、原因はすぐに判明した。
「カード、ギャク」
逆に入れていただけだった。
やらかした。
恥ずかしい。
ものすごく恥ずかしい。
英語ができないとか、韓国語が分からないとか、そういう以前の問題だった。
カードの向きが逆。
ただそれだけ。
初海外の緊張感の中で、テレホンカードすらまともに入れられない自分。
今思い出しても、なかなか味わい深い。
でも、初海外だから許してほしい。
何もかも初めてだった。
空港も、ホテル探しも、チェックインも、公衆電話も。
日本なら当たり前にできることでも、海外にいるだけで急に難易度が上がる。
いつもなら何でもないことが、旅先では小さなトラブルになる。
そしてその小さなトラブルが、あとから振り返ると一番記憶に残ったりする。
このテレホンカード逆挿し事件も、まさにそれだ。
初めての海外通話でWonに連絡する
気を取り直して、再チャレンジした。
今度は、ちゃんとカードの向きを確認する。
公衆電話にカードを入れる。
番号を押す。
今度はつながった。
Wonと会話することができた。
ネットで知り合った韓国人のWon。
画面の文字だけでやり取りしていた相手と、実際に電話で話す。
それだけで不思議な感覚だった。
そして、土曜日に一緒に遊ばないかと誘った。
WonはすぐにOKしてくれた。
こうして、ネットの世界とリアルがつながった。
当時の自分にとって、これはかなり大きな出来事だった。
今なら、ネットで知り合った人と会うこと自体は、そこまで珍しくないのかもしれない。
でも2000年当時は、まだ特別感があった。
チャットでやり取りしていた相手。
海外に住んでいる相手。
その人に電話をして、会う約束をする。
インターネットが、画面の中だけではなく、現実の世界に広がっていく感覚。
これは、本当に面白かった。
この旅の目的の一つが、ちゃんと形になり始めた瞬間だった。
初日の夜は静かに終わった
Wonと連絡が取れたことで、少し安心した。
でも、その日はもう限界だった。
初海外初日から、いろいろありすぎた。
飛行機。
金浦空港。
ホテル未予約。
観光案内所で英語に苦戦。
謎のおじさん。
Haeng Ju Hotel。
チェックイン。
テレホンカード逆挿し。
そしてWonへの連絡。
文字にすると、初日だけで十分濃い。
食欲もあまりなかった。
お腹は空いていたはずなのに、緊張と疲れのほうが勝っていたのかもしれない。
シャワーだけ浴びて、その日は終了。
ベッドに入った。
「ついに海外に来たんだな」
そう思った。
不安もあった。
心細さもあった。
でも、嫌な感じではなかった。
むしろ、どこか面白かった。
うまくいかないことばかりだった。
でも、そのたびに誰かに助けられたり、自分なりに何とかしたりして、少しずつ前に進んだ。
これが旅なのかもしれない。
そんなことを思いながら、すぐに眠りについた。
今なら絶対にやらないけど、あの頃だからできた
今の自分なら、同じことはたぶんしない。
初海外でホテル未予約。
空港でよく分からないおじさんについていく。
公衆電話で連絡。
ネットで知り合った外国人に会いに行く。
どれも、今ならかなり慎重になる。
危ないこともあるし、準備不足すぎる。
今ならスマホでホテルを予約する。
Googleマップで場所を確認する。
翻訳アプリを入れる。
現地の交通手段も調べる。
連絡手段も複数用意する。
何かあったときのために、保険や緊急連絡先もちゃんと確認する。
そのほうが安全だし、普通に正しい。
でも、2000年の自分には、そういう環境がなかった。
そして、そこまで慎重に考える経験もなかった。
だからこそ、動けたのかもしれない。
若さと無知。
この二つは、ときに危なっかしい。
でも、ときに人生を前に進める力にもなる。
あのときの自分は、決して立派だったわけではない。
むしろ準備不足で、英語もできず、テレホンカードも逆に入れるような大学生だった。
でも、実際に行った。
そこだけは、少しだけ褒めてもいい気がする。
初海外の初日は失敗だらけだった
初海外一人旅の1日目は、はっきり言って失敗だらけだった。
ホテルを予約していない。
英語が通じない。
相手の英語も聞き取れない。
空港で30分待つ。
誰か分からないおじさんについていく。
チェックインで何を書けばいいか分からない。
テレホンカードを逆に入れる。
普通に考えたら、かなりグダグダである。
でも、不思議と嫌な思い出ではない。
むしろ、今でもよく覚えている。
うまくいったことより、うまくいかなかったことのほうが記憶に残ることがある。
完璧に計画された旅行だったら、ここまで覚えていなかったかもしれない。
トラブルがあったから、焦った。
困ったから、人の優しさがしみた。
言葉が通じなかったから、片言の日本語が神の声みたいに聞こえた。
カードを逆に入れたから、今でも笑える。
失敗は、そのときは嫌だ。
でも時間が経つと、旅の味になる。
もちろん、危険な失敗は避けたほうがいい。
でも、小さな失敗は、旅を濃くしてくれる。
初日の韓国は、まさにそんな日だった。
旅はうまくいかないから面白い
この初日で思ったのは、旅はうまくいかないから面白いということだった。
もちろん、全部うまくいかないのは困る。
泊まる場所がないままだったら大変だし、本当に危ない目に遭っていたら笑い話では済まない。
でも、少しうまくいかないくらいなら、それが旅の記憶になる。
予定通りに進まない。
言葉が通じない。
思っていたようにできない。
でも、その中でどうにかする。
誰かに助けてもらう。
自分も少しだけ覚える。
次はこうしようと思う。
そうやって、旅の中で少しずつ経験値が増えていく。
初海外初日の自分は、レベル1だった。
いや、装備も弱いし、言語スキルもほぼない。
RPGで言えば、布の服でいきなり隣国に行ったようなものだ。
でも、最初の村で親切なおじさんと日本語を少し話せるホテルスタッフに助けられた。
そう考えると、かなり運が良かった。
本当に人に恵まれた初日だったと思う。
ネットの向こう側に人がいた
この旅で大きかったのは、ネットで知り合った人と現実につながったことだった。
当時のインターネットは、まだ今よりずっと小さな世界だった。
SNSも今ほど一般的ではない。
スマホもない。
でも、パソコンの画面の向こうには、確かに誰かがいた。
韓国のWon。
タイのMai。
文字だけのやり取りだった相手に、実際に会えるかもしれない。
その可能性が、自分を海外へ向かわせた。
今考えると、不思議な時代だった。
ネットは便利だったけれど、まだ少しロマンもあった。
知らない国の知らない人とつながるだけで、かなりワクワクした。
そして、その人に会うために飛行機に乗る。
今の感覚だと危なっかしい部分もある。
でも、あの頃の自分にとっては、インターネットが世界への入り口だった。
家のパソコンから始まった交流が、韓国の公衆電話につながり、実際に会う約束になった。
この瞬間は、かなり印象に残っている。
ネットの向こう側に、本当に人がいた。
それを確かめる旅でもあった。
まとめ
2000年9月21日。
初めての海外一人旅が、韓国から始まった。
きっかけは、たまたまテレビで見た沢木耕太郎の「深夜特急」。
大沢たかお主演の映像を見て、バックパッカーという旅の形を知り、自分も行ってみたいと思った。
当時の自分は、これといった趣味もなく、何をしていいのか分からない大学生だった。
そんな自分が、深夜特急に背中を押されるように、韓国とタイへ向かうことにした。
最初はラオスにも行こうと思っていたけれど、ビザの問題や余計なお金がかかることを考えて断念。
結果的に、ビザ不要の韓国とタイを選んだ。
旅の目的の一つは、ネットで知り合った人に会うことだった。
交流サイトNETOMOで知り合った韓国人のWon。
ICQで知り合ったタイ人のMai。
今考えると、会ったこともない外国人に会いに行くというのはかなり攻めている。
でも当時の自分には、ネットの世界とリアルがつながることが、とにかく面白そうに見えた。
海外旅行の準備としては、トラベラーズチェックも用意した。
今ではあまり聞かなくなったけれど、当時は海外旅行の基本装備のような存在だった。
盗まれても再発行できるという安心感があり、現金と一緒に持っていった。
そして2000年9月21日、大韓航空KE704便で成田を14時半に出発し、16時に金浦空港へ到着した。
今は仁川空港のイメージが強いけれど、当時は金浦空港が主流だった。
飛行機の中のことはほとんど覚えていない。
たぶん緊張しすぎていたのだと思う。
韓国に着いて最初に困ったのは、ホテルを予約していなかったこと。
今なら絶対にやらない。
でも当時は「なんとかなるだろ」と思っていた。
そして、なんとかならなかった。
夕方の金浦空港で途方に暮れ、観光案内所へ行き、人生初の英語チャレンジ。
「I want… cheap hotel…」
たぶんそのくらいのレベルだった。
当然、まともには通じない。
相手の英語も聞き取れない。
ジェスチャーで「待ってて」と言われ、30分ほど待つことになった。
その後、謎のおじさんが現れ、無言で「ついて来い」というようなジェスチャー。
今なら絶対についていかない。
でも当時は、若さと無知でついていった。
結果的には、そのおじさんはとても良い人で、Haeng Ju Hotelまで案内してくれた。
チェックインでも何を書けばいいか分からず苦戦したけれど、ホテルの女性スタッフが片言の日本語で「ココ、ナマエ、カイテ」と助けてくれた。
あのときの日本語は、本当にありがたかった。
部屋に入ると一気に疲れが出て、少し休憩。
その後、近くのコンビニでテレホンカードを買い、Wonに連絡しようと公衆電話へ向かった。
しかし、何度やってもつながらない。
焦ってホテルの女性スタッフに聞くと、原因はテレホンカードの逆挿しだった。
「カード、ギャク」
それだけだった。
かなり恥ずかしかったけれど、初海外だから許してほしい。
気を取り直して再チャレンジすると、今度は無事につながった。
Wonと電話で話し、土曜日に一緒に遊ぶ約束をした。
ネットで知り合った相手と、現実に会う約束をする。
画面の中の世界が、現実につながった瞬間だった。
その日はもう限界で、食欲もあまりなく、シャワーを浴びてベッドに入った。
「ついに海外に来たんだな」
そう思いながら、すぐに眠った。
初めての海外一人旅の1日目は、ホテル未予約、英語が通じない、謎のおじさんについていく、チェックインで苦戦、テレホンカード逆挿しと、トラブルだらけだった。
でも、不思議と嫌な記憶ではない。
むしろ、これが旅なのかと思った。
完璧に計画された旅行ではない。
うまくいかないことの連続。
でも、その中で人に助けられて、少しずつ前に進んでいく。
それがめちゃくちゃ面白かった。
初海外、まだ始まったばかり。
このあと、Wonと実際に会うことになる。
そしてさらに、いろんな出来事が待っている。
今の自分なら絶対にもう少し準備する。
ホテルも予約するし、地図も確認するし、知らないおじさんには簡単についていかない。
でも、あの頃の自分は、若さと無知と少しの勢いで韓国に来た。
危なっかしいけれど、あの一歩があったから、今でもこうして書ける思い出になっている。
旅の始まりは、だいたいスマートじゃない。
自分の場合は、金浦空港でいきなりホテル難民になった。
でも、それも含めて、初めての海外一人旅だった。