音楽を聴く手段は本当に変わった
音楽を聴く手段って、本当に変わりました。
今はスマホで聴くのが当たり前です。
聴きたい曲があれば検索して、すぐ再生。
アルバムもプレイリストも、ほとんど待ち時間なしで聴けます。
本当に便利です。
便利すぎて、もはや「音楽を用意する」という感覚すら薄くなってきました。
でも、昔は違いました。
音楽を聴くまでに、ちゃんと手順がありました。
CDを買う。
レンタルショップで借りる。
カセットテープに録音する。
MDにダビングする。
タイトルを入力する。
ケースに入れて持ち歩く。
聴く前にも、聴いた後にも、いろいろな手間がありました。
今思うと、かなり面倒です。
でも、その面倒さまで含めて、音楽の思い出になっています。
曲そのものだけではなく、買いに行った店の空気や、レンタルした帰り道、MDに録音している時間、カセットの巻き戻し音まで、まとめて記憶に残っています。
不思議なものです。
便利になった今の方が、圧倒的にたくさんの曲を聴けます。
でも、1曲1曲を大事に聴いていた感覚は、昔の方が強かったかもしれません。
今回は、そんな音楽を聴く音源の変化について、CD、カセット、MD、mp3、そして配信まで、思い出しながら書いてみます。
初めて買ったCDは槇原敬之さんの「どんなときも。」
初めて自分のお金で買ったCDは、槇原敬之さんの「どんなときも。」でした。
これは今でも覚えています。
曲そのものはもちろんですが、CDを買った時の特別感も含めて覚えています。
CDケースを手に取る。
レジへ持っていく。
家に帰って開ける。
新品のCDケースを開けた時の、あの少し独特な匂い。
歌詞カードを見る時間。
ディスクをプレイヤーに入れる時のワクワク感。
今では音楽はスマホですぐ再生できます。
それは本当に便利です。
でも、CDを買うという行為には、今とは違う重みがありました。
1枚買うだけで、かなりのイベントでした。
今のように何曲も気軽に飛ばしながら聴くのではなく、1枚のシングルCDを何度も何度も再生していました。
聴きすぎて、イントロが流れた瞬間に気持ちが当時へ戻るような感覚があります。
弟は、TRFの「BOY MEETS GIRL」を買っていた気がします。
これもまた時代を感じます。
曲名を思い出すだけで、その頃の空気が一気によみがえります。
音楽は不思議です。
ただの音なのに、記憶の引き出しを一気に開けてきます。
「どんなときも。」と「BOY MEETS GIRL」。
この並びだけでも、かなり当時の空気があります。
今聴いても良い曲ですが、当時はもっと生活の中に強く入っていた気がします。
CDを1枚買うことが特別だった
昔は、CDを1枚買うこと自体が特別でした。
今のようにサブスクで気軽に何曲も聴けるわけではありません。
聴きたい曲があるなら、買うか、借りるか、誰かに録音してもらうか。
選択肢は今ほど多くありませんでした。
だからこそ、1枚のCDを買う時にはかなり真剣でした。
本当に欲しいのか。
何度も聴くのか。
ほかに欲しいCDはないのか。
限られたお金の中で、どれを買うか考える。
その迷う時間も含めて楽しかったです。
CDを買うと、まず歌詞カードを見ました。
曲を聴きながら歌詞を追う。
ジャケットの写真を見る。
クレジットを見る。
今考えると、音楽を聴くというより、CDそのものを丸ごと楽しんでいた気がします。
ケースも大事でした。
傷がつかないように扱う。
ちゃんと棚に並べる。
貸し借りする時は少し緊張する。
CDは音楽データではなく、ちゃんと「物」でした。
手元にある。
棚にある。
ケースを開ければディスクがある。
その安心感がありました。
今はスマホの中に曲があります。
クラウドにもあります。
配信サービスにもあります。
便利です。
でも、物としての存在感は薄くなりました。
CDを買っていた頃は、音楽を所有している実感が強かったのだと思います。
塾帰りによく立ち寄った「すみや」
塾に通っていた頃、地元に「すみや」というお店がありました。
CD販売とVHSレンタルを一緒にやっているようなお店です。
今で言えば、大型書店の音楽版のような存在だったかもしれません。
塾の帰りによく立ち寄っていました。
買う予定がなくても、店内を見て歩くだけで楽しかったです。
新譜CDが並んでいる。
人気ランキングがある。
試聴コーナーもあった気がします。
「あ、この曲テレビで流れてたな」
「このジャケットかっこいいな」
「来週発売か、欲しいな」
そんなことを考えながら店内を歩いていました。
今思えば、CDショップそのものが娯楽施設でした。
ただ商品を買う場所ではなく、音楽に触れる場所。
新しい曲を知る場所。
流行を感じる場所。
ジャケットを眺めて、知らないアーティストに興味を持つ場所。
そういう空間でした。
今はネットで検索すれば、いくらでも曲を探せます。
ランキングもすぐ見られます。
動画も見られます。
でも、CDショップの棚を眺めながら偶然出会う感じは、ネットとは少し違います。
自分で探しているようで、店側の並べ方にも影響される。
ランキングやポップを見て、知らない曲に興味を持つ。
そういう偶然がありました。
すみやに立ち寄っていた時間は、ただの寄り道だったはずなのに、今となってはかなり懐かしい記憶です。
CDショップは見て歩くだけで楽しかった
CDショップは、買わなくても楽しい場所でした。
むしろ、買えない時でも楽しかったです。
欲しいCDはたくさんある。
でも全部は買えない。
だから眺める。
ジャケットを見る。
曲名を見る。
ランキングを見る。
試聴できるものがあれば聴く。
それだけで時間が過ぎました。
当時は、CDジャケットの存在感も大きかったです。
ジャケットがかっこいいと、それだけで気になります。
アーティスト写真やデザインから、音楽の雰囲気を想像する。
今ならサムネイルで見ることが多いですが、CDケースのサイズ感で見るジャケットには、また違う良さがありました。
アルバムもそうです。
収録曲を見て、
「あ、この曲入ってる」
「知らない曲も多いな」
「でも聴いてみたいな」
と考える。
CDショップの棚を歩くことは、音楽を探す楽しみそのものでした。
今は聴きたい曲にすぐたどり着けます。
便利です。
でも、寄り道しながら音楽に出会う感覚は少し減った気がします。
もちろん今でもおすすめ機能やプレイリストで新しい曲に出会うことはあります。
でも、店内を歩いて、棚を見て、手に取って、戻して、また別のCDを見る。
あの時間には、物としての音楽を探している楽しさがありました。
すみやに通っていた頃の自分は、たぶん音楽そのものだけでなく、音楽のある場所が好きだったのだと思います。
レンタルCDショップの時代
昔は、CDレンタルショップもかなり多かったです。
地元でも駅の近くにレンタルショップがあり、よく借りに行っていました。
新作アルバムを借りて、家でカセットテープやMDに録音する。
それが定番でした。
レンタルCDには、レンタルCDならではの楽しさがありました。
何を借りるか悩む。
予定外のCDも借りる。
ケースの中身を確認する。
返却日を気にする。
この一連の流れがありました。
特に返却日は大事です。
返し忘れると延滞料金がかかります。
今のサブスクにはない緊張感です。
音楽を聴くために、返却期限まで管理する。
便利とは言えません。
でも、それが普通でした。
CDを買うほどではないけれど、聴いてみたいアルバム。
気になるアーティスト。
テレビで聴いて気になった曲。
そういうものはレンタルで試していました。
そして、どうしても好きになった作品は買う。
「買う」と「借りる」がうまく共存していた時代だったと思います。
レンタルショップへ行くと、つい予定外のものも借りてしまいます。
1枚だけのつもりが、気づけば何枚か手に持っている。
せっかく来たから、これも借りよう。
このアルバムも気になる。
あの曲が入っているなら借りておこう。
この「せっかく来たから」は、今も昔も財布や時間に影響を与える強い言葉です。
借りたCDを録音する時間も楽しかった
レンタルしたCDは、家でカセットテープやMDに録音していました。
今思えば、この作業もけっこう手間です。
でも当時は、それが楽しかったんですよね。
CDをセットする。
録音する媒体を準備する。
曲順を考える。
録音ボタンを押す。
終わるまで待つ。
ただコピーしているだけなのに、そこには妙なワクワク感がありました。
特にお気に入りの曲を集めて、自分だけの音楽集を作るのは楽しかったです。
今でいうプレイリストのようなものですが、当時はもっと手間がかかりました。
手間がかかる分、完成した時の満足感もありました。
曲順も真剣に考えます。
最初の曲は勢いのあるものにしたい。
途中にバラードを入れたい。
最後は余韻のある曲にしたい。
そんなことを考えながら録音していました。
ただ聴くだけではなく、自分で編集している感覚がありました。
今はスマホでプレイリストを作ればすぐです。
曲の入れ替えも簡単です。
でも、簡単すぎる分、作る過程の記憶はあまり残りません。
昔の録音作業は、面倒でした。
でも、その面倒さが記憶に残っています。
録音中に失敗したり、曲の途中で切れたり、時間が足りなかったり。
そういう小さなトラブルも含めて、音楽を楽しむ時間でした。
カセットテープにはカセットの良さがあった
カセットテープも、音楽を聴くうえで大きな存在でした。
CDから録音する。
ラジオから録音する。
好きな曲を集める。
カセットには、カセットならではの手触りがありました。
A面とB面。
巻き戻し。
早送り。
テープの残り時間。
今となってはかなり面倒です。
でも当時は、それが普通でした。
曲を飛ばすのも簡単ではありません。
今のようにワンタップで次の曲へ行けるわけではありません。
早送りして、だいたいこのあたりかなと思って止める。
違ったらまた調整する。
かなりアナログです。
でも、その不便さがあったからこそ、1本のテープを大事にしていた気がします。
カセットテープには、録音した人の性格が出ます。
曲順にこだわる人。
ラベルをきれいに書く人。
適当に詰め込む人。
A面とB面のバランスを考える人。
私はどうだったかというと、たぶんそれなりに考えていた気がします。
こういうところで少しこだわりが出るタイプです。
カセットは便利ではありませんでした。
音質も今と比べたら当然違います。
テープが伸びたり、からまったりすることもあります。
でも、あのカチッと入れる感じや、再生ボタンを押す感覚は、今でも少し懐かしいです。
MDプレイヤーが一気に流行った頃
通学していた頃、MDプレイヤーが一気に流行りました。
あれは本当に衝撃でした。
CDより小さいディスクに音楽が入る。
持ち運べる。
カセットテープのように巻き戻しもいらない。
曲順も管理しやすい。
かなり未来的に感じました。
今から見ると、MDも十分レトロです。
でも当時はかなりハイテクでした。
小さなディスクをケースから出して、プレイヤーに入れる。
液晶に曲番号やタイトルが表示される。
それだけで少しテンションが上がりました。
私も秋葉原でMDプレイヤーを買いました。
たしか2万円ぐらいしたと思います。
決して安くはありませんでした。
でも欲しかったんです。
あの頃のMDプレイヤーには、それだけの魅力がありました。
秋葉原で家電を買うこと自体にも特別感がありました。
「秋葉原で買った」
それだけで、なんだか少し通っぽい感じがする。
実際に通だったかどうかは別です。
気分の問題です。
でも、その気分が大事でした。
MDプレイヤーを持っているだけで、少し音楽生活が進化したような感じがしました。
カバンに入れて持ち歩く。
イヤホンで聴く。
今日はどのMDを持っていくか選ぶ。
それだけで楽しかったです。
CDからMDへ録音する楽しさ
家では、CDからMDへ録音して楽しんでいました。
お気に入りの曲を集めて、自分だけのオリジナルMDを作る。
これが本当に楽しかったです。
通学用MD。
元気が出る曲集。
バラード集。
ドライブ用。
車に乗る予定がなくても、ドライブ用。
なぜか作りたくなるんですよね。
実際に使うかどうかより、テーマを決めて曲を並べることが楽しかったのだと思います。
今ならプレイリストで簡単にできます。
でも、MDの頃は録音に時間がかかりました。
タイトル入力も地味に大変でした。
リモコンや本体ボタンで、一文字ずつ入力する。
これがなかなか面倒です。
しかも、入力ミスをすると戻すのも少し面倒。
今のスマホ入力に慣れた感覚では考えられない手間です。
でも、それすら楽しかった。
曲名を入れる。
アーティスト名を入れる。
完成したMDを見る。
それだけで、自分だけの音楽作品を作ったような満足感がありました。
手間がかかるほど愛着が湧く。
当時の音楽体験には、そういう部分があった気がします。
今は何でも早いです。
すぐ聴ける。
すぐ消せる。
すぐ作れる。
それは本当に便利です。
でも、簡単に作れるものは、簡単に忘れてしまうこともあります。
MDに録音した曲順や、タイトルを入力した時間は、なぜか今でも記憶に残っています。
MDケースを持ち歩く楽しさ
MDプレイヤーを持っていた頃は、MDケースも一緒に持ち歩いていました。
カバンの中に何枚か入れて、
「今日はどれを聴こうかな」
と考える。
これが楽しかったです。
今ならスマホ1台で何万曲も持ち歩けます。
でも当時は、持っていくMDを選ぶ必要がありました。
たくさんは持ち歩けない。
だから選ぶ。
この選ぶ時間も音楽体験の一部でした。
今日はこの気分だからこのMD。
帰りはこれを聴こう。
雨の日はこの曲が合う。
そんなふうに、少ない枚数の中で楽しんでいました。
MDケースの中に並んだディスクを見るのも好きでした。
ラベルを書いたもの。
タイトルを入力したもの。
録音したアルバム。
自作の曲集。
それぞれに思い入れがありました。
今のスマホは便利です。
曲数も多いし、検索もできます。
でも、どれを聴くか迷いすぎることもあります。
選択肢が多すぎて、逆に決められない。
昔は持ち歩ける枚数が限られていたので、選択肢は少なかったです。
でも、その分、聴く曲には集中していた気がします。
数枚のMDが宝物のようでした。
大げさではなく、本当にそういう感覚がありました。
MDプレイヤーはハイテクの象徴だった
MDプレイヤーは、当時かなりハイテク感がありました。
本体は薄くてスタイリッシュ。
液晶表示がついている。
機種によっては曲名も表示される。
リモコンもかっこいい。
イヤホンで聴きながら歩くだけで、少し大人になったような気分でした。
こういう感覚、今思うと少し微笑ましいです。
でも当時は本気でした。
MDプレイヤーを持っていること自体が、ちょっとしたステータスでした。
音楽を持ち歩ける。
しかもカセットよりスマート。
CDプレイヤーより小さくて扱いやすい。
それが魅力でした。
ポータブルCDプレイヤーもありましたが、やはりCDはサイズが大きいです。
持ち運ぶには少し気を使います。
MDはその点、コンパクトで良かった。
小さいディスクに音楽が入るというだけで、未来を感じていました。
今はスマホで何でもできるので、専用機を持つこと自体が減りました。
音楽プレイヤー。
カメラ。
ゲーム機。
メモ帳。
時計。
いろいろなものがスマホに集約されています。
便利です。
でも、専用機には専用機の魅力がありました。
MDプレイヤーは、音楽を聴くためだけの道具でした。
だからこそ、持っている時の満足感もありました。
テープが消え、MDも消えていった
その後、カセットテープは少しずつ姿を消していきました。
さらに時代が進むと、MDプレイヤーも見なくなりました。
あれほど流行ったのに、気づけば一気に消えていった印象があります。
当時は、MDがずっと続くような気がしていました。
便利だったし、持ち運びやすかったし、録音もできる。
十分すごいと思っていました。
でも、新しい便利さが出てくると、あっという間に置き換わっていきます。
便利な機械ほど、新しい便利さに負けるのも早いのかもしれません。
カセットからMDへ。
MDからmp3へ。
そして配信へ。
音楽を聴く手段は、どんどん変わっていきました。
CDはしばらく残りました。
でも、再生機器は少しずつ減っていきました。
パソコンにもCDドライブが付かないものが増えました。
CDを買っても、再生する機械が家にない。
そういうことも珍しくなくなってきました。
昔なら考えられません。
CDが音楽の中心だった時代からすると、かなり大きな変化です。
でも、考えてみれば自分自身も、今はCDを再生する機会がかなり減っています。
懐かしいと思いながら、実際にはあまり使っていない。
そこが少し切ないところです。
mp3の時代もかなり大きな変化だった
MDの次に大きかったのが、mp3の時代です。
音楽がファイルになりました。
CDでもMDでもカセットでもなく、パソコンの中のデータとして音楽を扱う。
これもかなり大きな変化でした。
最初は少し不思議な感覚がありました。
音楽なのに、物がない。
ディスクもない。
テープもない。
ただファイルがある。
でも慣れてくると、これが便利でした。
曲を管理しやすい。
コピーもしやすい。
持ち運びもしやすい。
プレイヤーに入れれば、たくさんの曲を持ち歩ける。
MDケースを何枚も持ち歩く必要がなくなりました。
このあたりから、音楽を「所有している物」として見る感覚が少しずつ変わっていった気がします。
CD棚に並べるのではなく、パソコンの中に保存する。
アルバムを手に取るのではなく、フォルダを開く。
ジャケットを見るより、ファイル名を見る。
便利になった反面、少し味気なさもありました。
ただ、mp3の便利さは圧倒的でした。
たくさんの曲を持ち歩ける。
曲を探しやすい。
プレイリストも作れる。
MDの頃に手間をかけてやっていたことが、かなり簡単にできるようになりました。
その時はそれを素直に便利だと思っていました。
今も便利だと思います。
でも、やはり少し手間のかかった時代の記憶は、別の場所に残っています。
そして配信サービスの時代へ
今は、さらに配信サービスの時代です。
曲をダウンロードして所有するという感覚から、必要な時に聴く感覚へ変わりました。
CDを買う。
レンタルする。
録音する。
mp3として保存する。
そういう流れから、今は検索して再生です。
本当に速いです。
聴きたい曲があれば、すぐに聴けます。
知らない曲も、関連曲やおすすめからどんどん出てきます。
アルバムを全部聴かなくても、気になる曲だけ聴けます。
プレイリストもたくさんあります。
作業用。
散歩用。
懐かしい曲。
気分に合わせて選べます。
便利さでいえば、今が圧倒的です。
昔には戻れないと思うくらい便利です。
でも、ときどき思います。
少し不便だった頃の方が、1曲1曲を大事に聴いていたのではないかと。
CDを買ったら、何度も聴く。
レンタルしたら、返却日までに録音して聴く。
MDに入れたら、持ち歩いて繰り返し聴く。
カセットなら、曲を飛ばすのも面倒だから、そのまま聴く。
今は気軽に飛ばせます。
気軽に別の曲へ移れます。
それは便利です。
でも、1曲に向き合う時間は短くなったのかもしれません。
もちろん、今の音楽の楽しみ方が悪いわけではありません。
今には今の良さがあります。
ただ、昔の手間のある音楽体験には、別の味があったなと思います。
音楽そのものより、聴いていた時間を覚えている
振り返ってみると、覚えているのは音楽そのものだけではありません。
初めて買ったCD。
塾帰りに立ち寄ったすみや。
レンタルショップで悩んだ時間。
CDからカセットやMDへ録音したこと。
秋葉原で買ったMDプレイヤー。
MDケースを持ち歩いたこと。
そういう場面が、曲と一緒に残っています。
音楽は、生活の中の風景と結びつきます。
この曲を聴くと、あの道を思い出す。
このアルバムを聴くと、あの頃の部屋を思い出す。
あのアーティストを見ると、CDショップの棚を思い出す。
音楽は耳で聴くものですが、記憶の中では景色や匂いまで連れてきます。
CDケースを開けた時の匂い。
レンタルショップの棚。
MDの小さなディスク。
カセットの巻き戻し音。
そういうものまで、音楽の一部だった気がします。
今はスマホで聴けます。
それは本当に便利です。
でも、スマホの画面だけでは残りにくい記憶もあります。
物としての音源があった時代には、音楽の周辺にたくさんの思い出がありました。
だからこそ、CDやMDやカセットの話をすると、単なる機械の話ではなく、生活の話になっていくのだと思います。
便利さと引き換えに消えたもの
今の音楽環境は、本当に便利です。
聴きたい曲をすぐ聴ける。
知らない曲にもすぐ出会える。
スマホひとつで完結する。
場所も取らない。
収納もいらない。
持ち歩く荷物も増えない。
冷静に考えると、昔より圧倒的に楽です。
CD棚もいらない。
MDケースもいらない。
カセットの残り時間を気にする必要もない。
返却日もない。
巻き戻しもない。
タイトル入力の苦労もない。
いいことだらけのようにも見えます。
でも、便利さと引き換えに消えたものもあります。
CDショップを歩く時間。
ジャケットを手に取る感覚。
レンタルCDを選ぶ迷い。
録音が終わるのを待つ時間。
MDにタイトルを入れる手間。
カセットのA面B面を考える楽しさ。
そういうものは、効率だけで見れば不要です。
でも、思い出としてはかなり大きい。
不便だったからこそ記憶に残っているのかもしれません。
便利なものは、生活に自然に溶け込みます。
でも自然すぎると、記憶には残りにくい。
昔の音楽体験は、少し面倒だったからこそ、ひとつひとつが濃かったのだと思います。
もちろん、今さら全部を昔に戻したいわけではありません。
今の便利さはありがたいです。
でも、時々あの手間が懐かしくなります。
まとめ
音楽を聴く音源は、本当に大きく変わってきました。
カセットテープ。
CD。
MD。
mp3。
そして配信サービス。
その時代ごとに、「これが最先端だ」と思っていたものが、いつの間にか懐かしい存在になっていきます。
初めて自分のお金で買ったCDは、槇原敬之さんの「どんなときも。」でした。
弟はTRFの「BOY MEETS GIRL」を買っていた気がします。
CDを1枚買うだけで特別なイベントだった頃です。
塾帰りには、地元の「すみや」によく立ち寄っていました。
CDやVHSが並ぶ店内を歩き、新譜やランキング、ジャケットを眺めるだけで楽しかったです。
今思えば、CDショップそのものが娯楽施設でした。
レンタルCDショップにもよく行きました。
借りたCDをカセットテープやMDに録音し、返却日を気にしながら音楽を楽しむ。
買う音楽と借りる音楽が、うまく共存していた時代だったと思います。
その後、MDプレイヤーが流行り、私も秋葉原で2万円くらいのMDプレイヤーを買いました。
CDからMDへ録音し、自分だけのオリジナルMDを作る時間は本当に楽しかったです。
タイトル入力は面倒でしたが、その手間も含めて愛着がありました。
やがてカセットテープは姿を消し、MDも見かけなくなりました。
音楽はmp3というデータになり、今では配信サービスで聴くのが当たり前になっています。
今の方が便利です。
聴きたい曲をすぐ再生できるし、スマホひとつでたくさんの音楽に触れられます。
それは本当にありがたいことです。
でも、CDケースを開ける時間や、レンタルショップで悩む時間、MDに録音する手間、カセットの巻き戻し音まで含めて、昔の音楽体験には独特の良さがありました。
音楽そのものだけではなく、音楽を聴くまでの過程も思い出になっています。
便利になった今だからこそ、少し手間のかかったあの時代が、妙に愛おしく感じます。
ただ、今もしMDに一文字ずつ曲名を入力しろと言われたら、たぶん途中で静かにスマホを取り出します。
懐かしい気持ちと、便利に慣れた体は、なかなか別物です。