みんなが豊かなときの貧乏はなぜ苦しいのか
貧乏が本当に恐ろしいのは、単純にお金がないことそのものではないと思う。
いや、もちろんお金がないのは普通に困る。
家賃は待ってくれない。
電気代も水道代も、情け容赦なく請求書を送ってくる。
スーパーで卵の値段を見て、一瞬だけ人生について考える。
そういう現実的なしんどさはある。
あるんだけど、本当に心にくるのは、そこだけじゃない。
一番きついのは、みんなが豊かなときの貧乏だ。
周りの人が新しい家を買う。
高級ブランドのバッグを持つ。
最新家電を揃える。
旅行に行く。
外食を楽しむ。
SNSにきれいな写真を上げる。
その横で、自分だけが古びた靴を履き、暖房を少し弱めた部屋で、即席ラーメンをすすっている。
この差が、地味に心を削ってくる。
即席ラーメンは悪くない。
むしろ好きだ。
たまに食べると妙にうまい。
ただ、それが「選んで食べている」のか、「それしか食べられない」のかで、味が変わる。
同じラーメンなのに、前者は小さな楽しみで、後者は少し悲しい。
この違いは大きい。
貧乏そのものよりも、
「自分だけ置いていかれている感じ」
が苦しいのだと思う。
お金がないことよりも、周囲との距離を見せつけられること。
これが本当にこたえる。
貧しさは絶対額よりも比較で苦しくなる
たとえば、みんなが同じように寒いなら、それはただの冬だ。
みんなが同じように空腹なら、それは日常になる。
みんなが同じように古い家に住み、同じように節約し、同じように安いものを食べているなら、そこにあるのは不便さかもしれないけれど、強烈な孤独感とは少し違う気がする。
でも、自分だけが寒いと感じると、話が変わる。
自分だけが我慢している。
自分だけが買えない。
自分だけが進んでいない。
自分だけが取り残されている。
そう思った瞬間、貧しさはただの金銭問題ではなくなる。
劣等感になる。
孤独感になる。
自己否定になる。
これが怖い。
相対的な貧しさほど、精神をむしばむものはないと思う。
昔なら、近所の人と比べるくらいで済んだのかもしれない。
でも今は違う。
スマホを開けば、他人の豊かさが流れてくる。
いい家。
いい服。
いい食事。
いい旅行。
いい家族写真。
いい仕事。
いい人生っぽいもの。
もちろん、それがその人の人生の全部ではないことは分かっている。
SNSには、基本的に良い場面が出てくる。
誰も、夜中に家計簿を見て白目をむいている写真なんて載せない。
「今月のカード請求を見て、魂が一回抜けました」
みたいな投稿は、あまり映えない。
でも、頭では分かっていても、心は比べてしまう。
そして、
「あれ、自分は何をやっているんだろう」
となる。
この比較がしんどい。
貧乏が苦しいというより、格差を感じる瞬間が苦しい。
豊かそうな人を見ると心がざわつく
周りが豊かそうに見えると、自分の生活が急にみすぼらしく見えることがある。
別に昨日まで不満がなかったものまで、急に古く見える。
履き慣れた靴。
少し傷んだ財布。
年季の入った服。
築年数を感じる部屋。
暖房を弱める生活。
いつもなら、
「まあ、こんなもんだろう」
で済んでいたものが、誰かのきれいな暮らしを見た途端に、急に色あせて見える。
これはなかなか厄介だ。
自分の生活が突然悪くなったわけではない。
収入がその瞬間に下がったわけでもない。
それなのに、心だけが勝手に沈む。
人間は面倒くさい。
自分の暮らしを単体で見れば、何とかやれている。
でも比較が入った途端に苦しくなる。
「自分は足りない」
「自分は遅れている」
「自分は負けている」
そんな言葉が、勝手に頭の中に出てくる。
これが嫌なんだよなあ。
できれば他人と比べず、自分は自分と思っていたい。
でも、そんな悟りを簡単に開けるなら、たぶん今ごろ山奥で仙人をやっている。
実際は、普通にスーパーで半額シールを探している。
仙人にはまだ遠い。
みんなが貧乏なら少し楽なのかもしれない
もしもだ。
日本中、いや地球規模で、みんなが一緒に貧乏だったらどうだろう。
たぶん、そこまで苦しくないのかもしれない。
もちろん、不便ではある。
お金がないことは困る。
食べるものが限られ、買えるものが限られ、住む場所も選べない。
それは大変だ。
でも、みんなが同じように苦しいなら、そこには妙な連帯感が生まれるかもしれない。
「うちも大変だよ」
「そっちもか」
「まあ、何とかやるしかないな」
そう言い合えるだけで、人間は少し楽になる。
問題は、自分だけが大変に感じることだ。
自分の苦しさが、他人に見えないことだ。
周りは楽しそうにしているのに、自分だけが静かに苦しい。
この状態が一番こたえる。
同じ寒さでも、みんなで震えているなら笑えることがある。
でも、自分だけが寒いと、ただつらい。
同じ即席ラーメンでも、みんなで食べればイベントになる。
でも、一人で節約のために食べると、少ししょっぱい。
いや、ラーメンだから元々しょっぱいんだけど。
そういう塩分じゃない。
心の塩分だ。
狭い視野で見すぎると苦しくなる
ただ、ここで少し考えたい。
自分の目の前だけを見ていると、どうしても苦しくなる。
あの人は豊かそう。
自分はそうじゃない。
あの家は新しい。
自分の部屋は古い。
あの人は余裕がある。
自分はない。
そんなふうに、近くの比較だけで世界を見ると、気持ちはどんどん狭くなる。
だからこそ、あまりにも狭い視野で物事を見るなよ、と自分に言いたい。
目の前の生活は大事だ。
でも、それだけが世界のすべてではない。
歴史を見れば、もっと大きな流れがある。
日本だって、ずっと順調だったわけではない。
ペリーが黒船で来航して、不平等条約を結ばされた時代があった。
国として、かなり厳しい立場に置かれた時代があった。
それでも、そのあとに時代を動かす人たちが現れた。
誰もが諦めかけたときに、何かが動き出すことがある。
大きな苦しさの中から、新しい力が出てくることがある。
そう考えると、今の苦しさだけで全部を判断するのは、少し早いのかもしれない。
日本は何度も立ち上がってきた
日本という国は、歴史の中で何度も大きな痛みを経験してきた。
戦争もあった。
人類史上初の原子爆弾を、しかも2発も落とされた国でもある。
国土は焼け、街は壊れ、多くの人が亡くなった。
普通に考えれば、そこから立ち上がるだけでも信じられない。
でも日本は、そこから立ち上がった。
もちろん、それは簡単な美談で語れるものではない。
苦しみも、犠牲も、言葉にならないものもあったと思う。
それでも、瓦礫の中から生活を取り戻し、働き、作り直し、国を立て直してきた人たちがいた。
その根性や魂を、軽く見てはいけないと思う。
今の自分が、暖房を弱めた部屋で即席ラーメンをすすりながら、
「人生しんどいな」
と思っているときも、歴史を振り返ると、少しだけ背筋が伸びる。
いや、少しだけだ。
急に立派な人間になるわけではない。
ラーメンの汁も普通に飲む。
でも、
「日本人はけっこうしぶとい」
とは思う。
この国は、何度も厳しい局面を乗り越えてきた。
だから今の時代にも、どこかで立ち上がる力は残っているはずだ。
そう信じたい。
慌てても騒いでもろくなことはない
不安なときほど、人は慌てる。
お金がない。
将来が不安。
周りとの差がつらい。
このままでいいのか。
何かしなければ。
早く結果を出さなければ。
そう思う。
自分もそうだ。
でも、慌てて動いたときほど、ろくなことにならないことも多い。
焦って買う。
焦って決める。
焦って投資する。
焦って人と比べる。
焦ってよく分からないものに手を出す。
そして後で、
「なんであんなことを」
となる。
だから、そんなに慌てるな。
騒ぐな。
右往左往しても、ろくなことはない。
もっと、自分という存在に自信を持て。
……と、偉そうに書いている自分が、一番あたふたしている可能性がある。
自信を持てと言いながら、実際はスーパーで10円安い豆腐を探している。
人間とは矛盾の生き物である。
でも、それでもいい。
完璧に落ち着いている人間なんて、そうそういない。
不安を感じながらも、少しずつ自分の軸を取り戻していくしかない。
日経平均5000円とか言い出す心のヤケクソ感
ときどき思う。
株価を少しでも上げようとして、あくせくするより、いっそ日経平均が5000円くらいまで落ちたらどうだ、と。
もちろん、これは本気の投資判断ではない。
そんなものを本気で望んでいるわけでもない。
実際にそうなったら、自分も普通に青ざめると思う。
証券口座を開いて、そっと閉じる。
いや、たぶん閉じる前に一回フリーズする。
でも、そういう極端なことを考えてしまうくらい、今の世の中には閉塞感がある。
中途半端に苦しい状態が続くくらいなら、一度ガラガラと崩れて、そこから新しい何かが生まれてほしい。
そんな乱暴な気持ちになることがある。
既存の秩序が崩れ、常識が壊れ、その中から新しいヒーローが現れる。
そんな展開を、どこかで期待してしまう。
まあ、それが自分だったらカッコいい。
ものすごくカッコいい。
「日本を立て直した男」
みたいな感じで、後世に語られる。
でも、残念ながら自分にはそこまで胸を張れる材料がない。
朝起きるのもつらい。
寒いとすぐ白湯を飲む。
日経平均どころか、自分の体温管理で精一杯だ。
だから声を大にして言える。
それは自分ではない。
少なくとも、今のところ自分ではない。
この潔い他力本願。
情けない。
でも、どこかの誰かが何とかしてくれると、まだ信じていたい。
他力本願でも希望は捨てたくない
「誰かが日本を立て直してくれる」
そう書くと、かなり他力本願に聞こえる。
実際、他力本願だと思う。
でも、人間にはそういう希望も必要だ。
全部を自分で背負うことはできない。
自分ひとりで日本経済をどうにかできるわけではない。
今日の夕飯をどうするかで悩んでいる人間に、国家の未来まで背負わせないでほしい。
荷物が重すぎる。
だから、どこかで誰かに期待する気持ちはあっていいと思う。
政治家でもいい。
経営者でもいい。
研究者でもいい。
若い世代でもいい。
今はまだ無名の誰かでもいい。
誰かが新しい流れを作るかもしれない。
そして自分は、その流れに少しだけ乗るかもしれない。
……ちょっとずるいか。
でも、そのくらいの希望は持っていたい。
根拠はない。
そんなものはない。
でも、もし希望すら持てないなら、この世界に神も仏もいないことになってしまう。
希望を捨てたら、もう人間はかなり厳しい。
夢を見る力があるから、人は何とかやっていける。
即席ラーメンをすすりながらでも、
「いつかもう少し良くなるかもしれない」
と思えるなら、それはまだ終わりではない。
規制や管理より大きな揺さぶりが必要なのかもしれない
今の日本に必要なのは、もしかしたら細かい規制や管理ではなく、大きな揺さぶりなのかもしれない。
もちろん、秩序は大事だ。
ルールも必要だ。
何もかも壊れればいいとは思わない。
でも、あまりにも固まりすぎたものは、どこかで風通しが悪くなる。
古い常識。
変わらない仕組み。
前例。
空気を読む文化。
誰も責任を取らない感じ。
挑戦しにくい雰囲気。
そういうものが積み重なると、社会全体が重くなる。
部屋の空気がよどむように、世の中にも換気が必要なのかもしれない。
窓を開けるだけでは足りない。
たまには扇風機を全力で回すくらいの揺さぶりが必要なのかもしれない。
もちろん、実際に大きな変化が起きると怖い。
人は変化を望みながら、変化を怖がる。
自分もそうだ。
「変わってほしい」と言いながら、いざ変わるとなると、
「いや、ちょっと待って」
となる。
情けない。
でも、常識が壊れ、ルールが見直され、その中から新しい秩序が生まれることもある。
それを完全に恐れていたら、何も変わらない。
ケセラセラ。
なるようになる。
そう思うしかない場面もある。
本を読むことが小さなリバウンドになる
そんなわけで、今日も自分は本を読んでいる。
いきなり日本を変える力はない。
日経平均を動かす力もない。
社会の秩序を揺さぶるほどの影響力もない。
でも、本を読むことくらいはできる。
ページをめくる。
知らない考えに触れる。
歴史を知る。
誰かの言葉に救われる。
自分の狭い視野を少し広げる。
それくらいならできる。
本を読んだからといって、明日から急に人生が好転するわけではない。
読書で家賃は払えない。
残念ながら、本のページを財布に入れてもお札にはならない。
でも、心の中に何かしらのリバウンドが生まれることはある。
落ち込んでいた気持ちが、少しだけ跳ね返る。
狭くなっていた視野が、少し広がる。
「まだ何かできるかもしれない」
と思える。
それだけでも、本を読む意味はあると思う。
貧しさが心を締めつけるとき、必要なのはお金だけではない。
もちろんお金は必要だ。
必要すぎる。
でも同時に、心をつぶさないための言葉や考え方も必要だ。
本は、その助けになることがある。
まとめ
貧乏が本当に苦しいのは、お金がないことだけではないと思う。
もちろん、お金がないのは大変だ。
生活費はかかるし、家賃も光熱費も食費も待ってくれない。
でも、それ以上に苦しいのは、みんなが豊かそうに見える中で、自分だけが取り残されているように感じることだ。
相対的な貧しさは、心をむしばむ。
古びた靴も、寒い部屋も、即席ラーメンも、それ自体が悪いわけではない。
でも周囲との格差を感じた瞬間、それらが急に自分の弱さの象徴のように見えてしまう。
それがつらい。
だからこそ、あまり狭い視野だけで物事を見ないようにしたい。
日本は過去に何度も大きな苦しみを経験し、それでも立ち上がってきた。
黒船の時代も、戦後の瓦礫の中からも、人は何とか前に進んできた。
今の時代にも、きっとどこかに立ち上がる力は残っている。
それが自分だったらカッコいい。
でも、正直そこまでの自信はない。
だから、どこかの誰かが新しい流れを作ってくれることを、少しだけ信じている。
他力本願と言われれば、それまでだ。
でも、希望を捨てるよりはいい。
根拠のない希望でも、ないよりはましだ。
そして自分にできることとして、今日も本を読む。
すぐにお金になるわけではない。
人生が急に変わるわけでもない。
でも、ページをめくる指先に、まだ未来への希望を少しだけ握っていたい。
みんなが豊かなときの貧乏は苦しい。
それは本当に苦しい。
でも、そこで完全に終わりだとは思いたくない。
寒い部屋で即席ラーメンをすすりながらでも、本を読み、考え、少しだけ未来を信じる。
それくらいの抵抗はしてもいいはずだ。
ケセラセラ。
なるようになる。
……とはいえ、できれば電気代はあまり上がらない方向でお願いしたい。
希望は大事だけど、請求書はもっと現実的だから。